被災地支援で大切な姿勢とは――阪神大震災でのボランティア経験から(2/4 ページ)
阪神・淡路大震災のとき、全くの素人で、ボランティアに伺いました。これから「人の役に立ちたい」と考える方のご参考になればと思い、その時の経験談を、かつて被災者の立場だった西宮市議会議員今村岳司氏のブログとともに紹介します。
「にわかボランティアブーム」が収束
1カ月近くが経とうとしていました。
震災直後から感じていた「にわかボランティアブーム」が収束していることを肌で感じました。そしてメディアにて、ボランティアという名の迷惑な人たちが少しずつ報道されるようになってきました。
1つは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言いわけしながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。(今村岳司氏のブログより)
人から感謝されることを楽しみに行いをなしても構わないと思うんです。ただ、この気持ち「だけ」での行動は、絶対に、絶対に、止めなければいけません。もちろん、この気持ち「だけ」での行動の結果、「感謝される成果」を世の中に生み出す場合もありますが、経験的にその可能性は低いと感じます。
「相手に何ができるか」「それは自分にできるか」「そのことで逆に迷惑をかけることはないか」……、真剣に考えてボランティアに出かけてほしいと思うんです。逆に、これを考えられない行動は、真の意味で「良心」に基づいた行動とは言えません。
しっかり考えられていれば(そんなに深い思考が必要とは思いません)、少なくとも……
- 自分1人でも寝れる用意をしておく
- 自分が数日〜1週間、「向こうで食事がなければこれを食べて過ごそう」と思える食事を持参する(1回あたり、普段の食事の量の2〜3割程度が目安でしょうか)
- 食事やトイレなどで「ご厄介」になりつつも、ほとんど自分でできていることがないと思えば「すぐに帰ろう」という覚悟を持ち合わせておく
などは、ボランティアに出かける前に準備できることです。
当時、メディアで報道されなくなったからか(きっと取材の人たちが減ったのでしょう)、ボランティアという名の迷惑な人たちと、実際にボランティアで懸命に頑張っていた人(大学生中心)が帰り始めたのが、2月上旬〜中旬にかけてだったでしょうか。学期末テストが大きな理由だったかと思います。
そのため今度は、「真の意味でのボランティアまで不足する事態になってきた」とメディアの記事で流れてきました。すでに卒論の発表以外、単位をとり終えていた僕は思いました。
「自分ができるのは今だ」
そして僕は寝袋を調達・持参、1週間程度の食料と最低限の着替えなどを持ち、神戸へ向かって列車に乗りました。
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