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コラム

第47鉄 災害と復興と洋菓子――2008年夏、柏崎杉山淳一の+R Style(4/6 ページ)

大震災に襲われた街が復興するまで、どれくらいの時間が必要なのだろう? 震災のニュースは、時間の経過とともに扱いが小さくなり、1年も経てば人々が思い出すことも少なくなる。しかしその程度で街は回復しない。被災地では1年以上経っても、震災は続くのだ……。

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米どころを走る越後線に乗って

 越後線の電車は旧国鉄時代に作られた115系。古い電車だけど客室はリフォームされている。冷房も効いて快適だ。ちょっと落ち込んでいた気分も少し上向いて、初めて乗る路線の旅を楽しむ。越後平野は日本海側で最も大きな平野で、Wikipediaによると面積は東京都とほぼ同じという。元々は湿地帯で、長年の土地改良で大穀倉地帯となった。越後の米どころを象徴するように水田が多い。

越後線で新潟へ向かう。国鉄型の古い電車だけど室内は新車のよう

 越後線はその穀倉地帯の村を結ぶルートとして建設された。従って海岸沿いではなく、平野のどまんなかを貫いている。柏崎刈羽原発のそばも通るが、丘と森に阻まれてしまい建物は見えない。高圧送電線がその場所を指し示すだけだ。節電も大事だけど、早く再稼働してほしいとも思う。しかし柏崎の町の様子を思い出し、身勝手な感情は慎まなくては、とも思う。


送電線の先に柏崎刈羽原発がある。

 出雲崎という駅があった。ああ、黒人演歌歌手ジェロさんのヒット曲『海雪』に出てくる「出雲崎」とはここだったのか。出雲というから島根県の歌だと思っていたな……などと、ぼんやり考えていた。満腹で冷房が効いていたので眠くなり、だんだん発想が単調になっていく。そんな時、車窓に白くて大きな建物を見つけた。「ブルボン ルマンド」と描かれている。なるほど。ここにブルボンの工場があるんだな。

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