大津波で崩れ去った石巻市――そこで見たものは:相場英雄の時事日想・震災ルポ(1)(5/5 ページ)
津波で崩れ去った宮城県・石巻市――。友人からは「こっちは地獄だ。覚悟して来い」と言われたが、足を運ばずにはいられなかった。現場は一体どうなっているのか。生々しい傷が深く刻まれていた街の姿を、写真を交えて報告する。
以下の写真は、翌10日に撮影したものだ。
門脇、南浜地区は、津波によって大半の住宅が流されたうえ、同時に発生した火災により、市内で最も被害が大きかった地域の1つだ。筆者が友人T氏とともに訪れたときは、行方不明者の一斉捜索日にあたり、多数の自衛官が黙々とがれきを押しのけ、人の姿を探していた。
この地区では、ヘドロと重油、潮の混じった臭いに焦げ臭さが加わる。社会科の教科書で見た太平洋戦争で空襲に遭った街の姿がオーバーラップした。生まれて初めて接する惨状を前にぼうぜんと立ち尽くしていると、Tが口を開いた。このとき、T氏と筆者の共通の知人の弟が同地域で行方不明になっていると初めて聞かされた。
筆者はその人物を直接知っているわけではなかったが、目の前に広がる惨状のどこかに、若き命が眠っていると考えると、不意に涙が溢れた。いたたまれなかった。この間、Tはずっと隊員たちの姿を追い、小さな声でつぶやき続けていた。
「ありがとうございます」
今回の大震災では、政府の支援体制のもたつきが目立つ。もたつきというよりは、被災者の足を引っ張るような行動、言動さえ見受けられる。現地でも頻繁に政府を手厳しく批判する声に接した。ただ、T氏と同様、多くの被災者が自衛隊の体を張った活動には感謝の声を送り続けていた。
「ありがとうございます」
T氏がつぶやいた小さな声が、この日1日、筆者の耳から離れることはなかった。
行方不明だった若い男性は、筆者が帰京したあとの16日午前、彼らの手によって発見された。
→相場英雄氏の震災ルポ、次回は4月28日掲載予定
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