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コラム

都知事の“天罰発言”を聞いたとき、被災者の感情は相場英雄の時事日想・震災ルポ(2)(4/4 ページ)

3月11日に発生した東日本大震災を「我欲への天罰」などと発言し、批判を浴びた石原都知事。この言葉を聞いた被災地の人たちはどのような感情を抱いたのだろうか。相場英雄氏の震災ルポ2回目。

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大きく揺さぶられた柱時計。壁に残った軌跡が地震の大きさを体現している

 引き続き、Sさんは安置所の様子を話し始めた。

 津波に流された遺体の多くは損傷が激しく、歯形や着衣で人物を特定するケースが多いという。即座に人物を特定できる遺体は少なく、運び込まれたときの顔写真、あるいは全体像を写したリストを頼りに、遺族は故人を特定せざるを得ないとされる。

「知人に子供を亡くした方がいる。必死の思いで安置所に出向いていた。その心情を察していたとき、天罰という言葉を聞いた」

 筆者は押し黙るしか術がなかった。Sさんだけでなく、石巻市周辺の市町村、あるいは三陸全体に苛烈な環境に置かれた被災者が存在する。津波から逃れたものの、愛する家族を失った人の数は多数に上る。

 石原都知事は、15日の謝罪会見で事が済んだと思っているようだ。だが、被災地での反石原感情は、激烈とも言えるレベルに達していたことを報告しておく。

 同知事が4選を果たしたこともあり、この怒りはさらにエスカレートすると筆者はみる。東北人は初対面の人間にその素顔、本音をむき出しにする人は少ない。特に、宮城県人は人見知りが多い。だが、石原氏の発言に関する場合は、彼女と同様の反応を示す東北人が多いことをあえて記しておく。

 Sさん宅に滞在中、震度5クラスの余震に遭遇した。あの日、筆者は自宅の仕事場で震度5強の揺れを体験したが、やはり同程度の震動は堪える。すると、Sさんは壁の時計を指した。

 柱時計の下、壁にご注目いただきたい。時計の下の部分が振り子のように振れた痕跡がくっきりと残っていた。筆者が被災地を訪問する直前の7日深夜、石巻は震度6クラスの余震に見舞われた。Sさんは家族とともに津波警報のサイレンとともに高台に避難したという。筆者が蛇田地区は津波被害が軽微だったことに触れると、Sさんは顔をしかめた。

「市内中心部の多くが津波で流されたばかり。今度大きな波が来たら、この辺りも無傷ではいられないはず」

 被災地の住民たちは、いまだに余震と津波の恐怖にさらされたままだ。

 →続く

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