奇妙な鉄の棒の正体は? 被災地で見たもの:相場英雄の時事日想・震災ルポ(4)(4/4 ページ)
筆者の相場英雄氏は、宮城県の北東部に位置する雄勝地域に足を踏み入れた。大津波が押し寄せた町はどのような姿に変わり果てたのか。震災ルポの最終回をお送りする。
海とともに暮らしてきた人々の心
同集落は、ホタテの養殖で有名だ。また、岩ガキの名産地でもある。水浜産の産物は筆者の大好物。特に、この地域で獲れる毛蟹は絶品だ。だが、漁船や漁具、養殖のいかだは、沖合に流されてしまった。地域の年老いた漁師さんに聞いたところ、あの日以前に漁場を戻すには5年かかると教えられた。
水浜を後にする際、Cさんはじめ、炊き出し中のご婦人方には近々また顔を出させてもらう旨を伝えた。
大震災は地元民の生活を激変させた。ただ、被災地以外では、惨禍の記憶は薄れていく。マスコミの扱いも確実に減っていく。TwitterのTLがすさまじい速度で流れていくように、被災地以外の人間にとっては被災者の苦しみはしょせん他人事と片付けられてしまうのだ。
筆者は定期的に石巻や牡鹿半島を訪れ、復興の過程をリポートする腹を決めた。同地の産物のすばらしさを被災地以外に伝えるために、また、この地域で暮らす人たちがどのように再興を果たしていくのかを、定期的に読者に届ける心づもりだ。
当ルポの最後に、水浜の存在を筆者に教えてくれたAさんの言葉を刻んでおく。Aさんが震災後、初めて故郷に戻る際に記したメールの一部だ。
「こんなに憎むべき海なのに、いつもどおりふるさとの海を見ることにわくわくしている自分がいます」
海とともに暮らしてきた人々の心は折れていない。
最後の最後に、我が愛車にはお疲れさまと付け加えさせていただく。昼夜ぶっ通しで、釘やガラスが散乱する中で奇跡的にもパンクなしで走り続けた1100キロ、ありがとう。
相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール
1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo
相場英雄氏の震災ルポ・バックナンバー:
→【震災ルポ(1)】大津波で崩れ去った石巻市――そこで見たものは
→【震災ルポ(2)】都知事の“天罰発言”を聞いたとき、被災者の感情は
→【震災ルポ(3)】陸の孤島・雄勝――津波に襲われた集落の姿
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