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コラム

メディアは報じる、「震災で亡くなった人=美談」と吉田典史の時事日想(4/4 ページ)

東日本大震災が発生し、多くのメディアはさまざまな“美談”を報じてきた。震災で多くの人が命を失ったが、彼らの死を「かわいそう」「仕方がない」といった表現でまとめていいのだろうか。

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 高台へ避難する住民が、町長や職員らが庁舎の前で会議を開いている様子を見たという。朝日新聞の取材に「こんな時に何をしてるんだと思った」と答えている。生き残った副町長は、「これまでの避難訓練では役場に本部を置いてきた。当日も訓練と同じことをした。高台への避難は思いつかなかった。庁舎に本部を設置することで頭がいっぱいだった」としている。

 私は、地震後に総務課長になった平野公三総務課長の言葉がすべてを言い表していると思う。

 「防災計画や訓練そのものが最悪の事態を想定してこなかった。想定を超える災害でも命が助かる防災計画でなくてはいけない。『未曾有』という言葉で覆い隠すのではなく、きちんと検証し、実効性のある計画をつくることが必要だ」(4月21日 朝日新聞の記事の一部を抜粋)

 遠藤さんや加藤町長らの死に至るまでの状況を知ろうとしない人が、“美談”として取り上げているようにしか、私には見えない。この2人に限らない。震災で多くの人が亡くなっているが、彼らの死を「かわいそう」「よくやった」「仕方がない」といった表現でまとめていいのだろうか。

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