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インタビュー

10万缶の“パンの缶詰”を被災地へ、パン・アキモトの支援活動とは(前編)嶋田淑之の「リーダーは眠らない」(1/5 ページ)

保存食なのにふわっとおいしい――2010年のハイチ大地震のとき、子どもたちが「こんなにおいしいパンを食べたのは生まれて初めて」と喜んでいたのがパン・アキモトの「パンの缶詰」だった。東日本大震災発生後、社長の秋元氏は自社も被災していたにもかかわらず、現地へ10万缶のパンを送っている。秋元氏が考える、保存食によるソーシャルビジネスとは?

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嶋田淑之の「リーダーは眠らない」とは?

 技術革新のスピードが上がり、経済のグローバル化も進む中、日夜、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き、どんなことに注目して、事業を運営しているのでしょうか。「リーダーは眠らない」では、さまざまな企業や団体のトップに登場していただき、業界の“今”を語ってもらいます。

 インタビュアーは戦略経営に詳しい嶋田淑之氏。徹底した聞き取りを通して、リーダーの心の内に鋭く迫ります。


 3月11日に発生した東日本大震災。直後から、日本国内はもとより世界各国の企業や団体、個人が、被災者義援のために現金や支援物資を送り続け、それが救援・復興の大きな力になってきたことは周知の通りである。

 一方、そうしたスポット的な義援とは別に、被災者に対する持続的支援を続けながら、しかもそれが自社のビジネスとして成立している会社も存在する。

 しかも、その会社はこれまでにジンバブエの飢餓、スマトラ島沖地震、台湾台風豪雨、フィリピン・ミンドロ島大洪水、ハイチ大地震など未曾有の災厄に対して、世界でも類例を見ないほどのシステムで支援し、現地の人々に大きな感動と明日への希望を与えてきたという。

 その企業とは栃木県の那須塩原市に本社を置くパン・アキモト。会社を率いるのは2代目社長の秋元義彦さん(58歳)だ。


パン・アキモトの秋元義彦社長

 私は2010年のハイチ大地震後、被災地の子どもたちがむさぼるように同社のパンをほお張り、「こんなにおいしいパンを食べたのは生まれて初めて」と満面の笑みを浮かべるその姿を映像で見て、激しく胸をつかれた経験がある。その1件以来、「いずれ秋元さんにお会いし、お話をお聞きしたい」と念願していた。

 その思いが、東日本大震災をきっかけに実現したということに対しては、複雑な思いを禁じ得ないが、お会いできる喜びは大きかった。

 取材当日。そこかしこの民家の屋根瓦が崩れ落ちたままで、今も震災の爪あとが残る那須塩原市郊外。田園地帯を吹きぬけてくる風が肌に心地よく、32度という暑さを忘れさせてくれる中、パン・アキモト社員のみなさんはエアコンなしで精力的に仕事に打ち込んでいた。

 そこに現われた秋元さんも、見るからにアクティブな雰囲気の男性。その話しぶりは、快活にして論理明晰。堂々と正論を述べる中にも、ユーモアや相手への気遣いがあふれていた。普段辛口な同行の編集者H氏も「私も地方出身ですが、こうした田園地帯にこれほどの人物がいたとは」と若干失礼なほめ言葉を述べていたほど。

 この前編では、パン・アキモトの独創的な商品とそれをベースにしたビジネス・モデル、東日本大震災で同社がどのような行動をしたかを紹介する。そして後編では、そうした商品やビジネス・モデルをどのように構築したのか、同社や秋元さんが今後目指す方向性を明らかにしていく。


那須塩原にあるパン・アキモト本社
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