原発事故でも「相馬魂」は消えない――東北六大祭り・相馬野馬追と一時帰宅:東日本大震災ルポ・被災地を歩く(5/5 ページ)
福島県相馬地方の野馬追は1000年以上の歴史を誇るきらびやかな祭り。地元の人たちは1年で最大のイベントとして心待ちにしている。今年は規模を縮小して行われたが、同じタイミングで、福島第一原発から20キロ圏内の住民は一時帰宅を許された。
3月12日朝に、浪江町津島のつしま活性化センターに避難した。しかし人がいっぱいだったために、家族4人で車中泊をした。ガソリンもなかったので福島市へ行ったが、やはりガソリンはなく、戻ってきた。その後、川俣町、二本松市、伊達温泉と、転々とした。
「草はぼうぼう。家はぐちゃぐちゃ。臭いなんかはなかったが、これから暑くなってくるので、心配です。役場や県に言っても、『分かりました』とは言うが、何も進まない。でも、何か言わないと腹の虫が収まらない」
警戒区域となっている、東京電力の福島第一原発から20キロ圏内に住んでいた人たちの一時帰宅は、7月末でほぼ一巡した。9月以降に2巡目が行われる予定だ。しかし生活に必要な荷物をすべて運び出すことすらままならず、いまだに生活の拠点を転々としている人も多い。
原発事故の影響でコミュニティが破壊されてしまった南相馬市。事故から半年近くが経っても、コミュニティが回復するめどは立っていない。
渋井哲也「東日本大震災ルポ・被災地を歩く」バックナンバー
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:3月31日の卒業式――福島県相馬市立磯部小学校
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:南相馬市、原発20キロ圏内に入る(前編)
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:南相馬市、原発20キロ圏内に入る(後編)
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:原発20キロ圏内、さらに奥へ――福島第一原発を目指す
→冠水、悪臭、ハエ――震災から3カ月、被害が拡大している現実
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:震災から3カ月、南相馬に住むということ
渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール
1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。
著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「悩み、もがき。それでも...」を刊行中。
5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版した。
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