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コラム

事故から25年、チェルノブイリ原発ツアーに参加してきた世界一周サムライバックパッカープロジェクト(4/5 ページ)

25年前、福島第一原子力発電所と同じレベル7の事故を起こした、ウクライナのチェルノブイリ原発。それにも関わらず、今でも同国では電力供給の半分を原子力発電でまかなっている。現地を訪れ、街の人の声を聞き、ウクライナで事故はどのように受け止められているのかを調べた。

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世界一周サムライバックパッカープロジェクト

ウクライナと日本の結び付き

 翌日、キエフ市内にチェルノブイリ原発事故ミュージアムがあるというので訪れました。入場料は100円ちょっとで、写真を撮るには追加で200円ちょっと払う必要があります。

 館内の解説はロシア語とウクライナ語がメインで、英語もほぼないので現地人がいないと悲劇。たまたまウクライナの友達が一緒にまわってくれたので、ザックリ説明してくれました。

 館内に入ってまず現れたのはこちらの展示。「そうか。ウクライナの人たちはフクシマのこと、日本のことを心配してくれているんだな」と。

 その後、館内を歩きまわると、チェルノブイリ事故についての資料や遺物などが展示されていました。原発事故収拾に従事した人や関係者の写真が大量に並んでいるのですが、写真の右下に核マークが付いているものがありました。説明によると、それは「原発事故後に被曝が原因として亡くなった人」という証明シールとのこと。

 なぜシールなのかというか、その対象者は今も増え続けているからということでした。亡くなった人が被ばく者で、死因が被ばくであると判定されれば、その写真に核マークシールを貼っていくということなのでしょう(死因が本当に放射線なのかは疑問の余地がありますが……)。あと10〜20年経ったら、ミュージアムの写真には核マークがもっと多く付いているかもしれません。

 また、ミュージアム内には最新機器としてタッチパネルがあり、アルファベット順で被ばくした人たちの名前を検索できました。

 博物館の終盤、「なぜかやたらと日本語が目立ってきた……」と思ったら、「そうか、チェルノブイリと日本の関係はフクシマだけじゃないんだ」と気付いた。フクシマの前に、僕らはヒロシマ・ナガサキでつながっていたんです。

 そこには広島の人たちからのチェルノブイリ事故被害者への応援メッセージや、贈られた千羽鶴などが飾られていました。それもあってか、ミュージアムの運営には日本が多大な協力を行っているようです。「まさか再び日本でフクシマのような事態が起こるとは、一般人は誰も考えていなかっただろう。僕らはヒロシマ・ナガサキを経験したのに、フクシマも起こしてしまったんだな」と、改めて考えさせられる場所でした。

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