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ソニーの失敗、ベネチアンの成功に学べ――カジノ成功には何が必要なのか(3/5 ページ)

超党派議員連盟が成立に向けて調整しているカジノ法案。もし日本にカジノが作られることになった場合、どうすれば観光客を誘致できるのか。K.I.T.虎ノ門大学院が設立したロケーション・エンタテインメント研究協議会会長の北谷賢司氏がエンタテインメント施設の歴史を振り返り、その成功の条件について解説した。

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カジノとロケーション・エンタテインメントの関係

 現在は切っても切れない関係にあるカジノ産業とロケーション・エンタテインメント産業との関係が初めて作られたのは1967年、MGMグループの総帥でつい最近96歳でリタイアを決めたカーク・カーコリアンによるものです。カーク・カーコリアンは1967年、ラスベガスにインターナショナルホテルという巨大なホテルを建設しました。それは現在でもラスベガス・ヒルトンとして残っていて、ラスベガス・コンベンションセンターで何らかのビジネスの催しがあって訪れる方が多いと思うのですが、その真横にあります。

 これ以前は、ラスベガスのホテルというのは基本的に男性客中心で、しかも週末中心でした。ラスベガスに行く主な目的にはもちろんカジノがありましたが、それに加えてネバダ州のクラーク郡で合法化されていた売春ということで、ほぼすべての客が男性で、それも週末しか来ないという状況だったのです。

 カーク・カーコリアンは、ラスベガス・コンベンションセンターの隣に新しく巨大ホテルを作って、ファミリーエンタテインメントを導入すれば、月曜日から木曜日もお客が来るようになるし、客層も男性客だけではなく、夫人やガールフレンドを連れてくる人も増えるし、子ども連れの家族も期待できる、と考えました。

 そこで、インターナショナルホテルのオープニングに際しては、当時最も人気があったエルビス・プレスリーとバーブラ・ストライサンドという2人の超有名歌手を長期契約で独占的にホテルのショールームで公演させました。ここで、大型カジノ施設とライブエンタテインメントの関係というのが提唱されたわけです。


インターナショナルホテル

 次にエポックメイキングな成功をもたらしたのが、スティーブ・ウィンによって1989年に建設されたミラージュホテルです。スティーブ・ウィンはロケーション・エンタテインメントのカジノコンセプトの原型を作ったということで歴史にその名前をとどめていて、現在でもウィン・リゾートはラスベガスで最も大型に属するホテルを経営していますし、現在マカオでもウィンマカオを経営しています。

 スティーブ・ウィンのコンセプトはカーク・カーコリアンのコンセプトをさらに上回るもので、まず3000室の客室、それからカジノ、そしてライブエンタテインメントは当然ですが、さらにトップブランドのリテールショップを加えて、女性客の呼び込みのために最新鋭のスパやフィットネス施設を作りました。また、ニューヨークや欧州で非常に名のある、ミシュランの3つ星くらいをとっているレストランも招へいしたプレミアムダイニング、さらにラスベガス・コンベンションセンターに依存するのではなく、ホテルの中に自らのコンベンション施設も持ちました。

 そして、それまではエンタテインメントというのはホテルの敷地の中に入ってきてくれた人たちに提供するものだという考えがラスベガスでは普通でしたが、ミラージュホテルには外付けのメガエンタテインメントを作ったのです。

 ホテルの外側に人工火山を作って、何分かごとに火山を爆発させるというものが世界中で話題になりました。その情景を楽しむためにお客がまずホテルの外側に集まってきて、その後にホテルのカジノフロアにどんどん入ってくるという導線を築き上げた。この発想を最初に導入したのがスティーブ・ウィンです。


ミラージュホテル

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