年収100万から1億円まで――フリー女子アナ界の生き抜き方とは:嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(4/4 ページ)
民放キー局出身者の華やかな生活が目立つ女子アナ界だが、全体を見ると年収100万円以下から1億円超まで幅広い。華やかな部分に隠れた陰の実態がなかなか伝わってこない業界の内情を、東海地区を中心にアナウンサーとして活躍してきた倉橋満里子さんに尋ねた。
仕事の多様化でリスクヘッジ
「あるイベントで司会をやっている時、講演者のお話を聴いている聴衆が、感動のあまり涙を流していたんです。それを見て、私も自分の話でひとさまの人生に気付きや感動を与えることができたらどんなにすばらしいだろうと思ったのです」
アナウンサーとしてそれができれば一番だが、残念ながらアナウンサーの使命は「人に感動を与えること」ではない。
倉橋さんは思案に暮れる。彼女は自分のこれまでの人生を振り返った。大学3年の就職活動では、民放キー局を含め、日本全国のテレビ局のアナウンサー試験を片っ端から受験し、すべて落ちた。アナウンサーだけではなく各テレビ局の一般職も受け全滅。新聞社も全て不合格。落ちた数は実に134社。
エネルギーも枯渇し、「このままプー太郎になるのかな」と思って受験したJTBにはなぜか合格し入社した。しかし、アナウンサーへの未練は絶ち難く、最初の1年は仕事が嫌で嫌で仕方がなかった。でも、そんなことではいけないと思い直し、仕事に向き合うようになったら、営業成績で中部地方のトップになって史上最年少チームリーダーにもなれた。
そんな自分の人生の話をして後進の役に立てないだろうか、そう思って調べて見つけたのが、キャリアコンサルタントの仕事だった。独学で3カ月勉強して資格試験には1回で合格。アナウンサーの仕事同様、営業活動は一切しなかったが、最初にもらった小さな仕事がきっかけとなってクチコミで評判が広がり、行政や企業、大学から次々に講演・コンサルティングの依頼が来るようになり、特に大学に関しては、名古屋市内を中心とした5つの大学で通年の授業を担当するまでになった。
「現在、仕事の比率はフリーアナウンサーが2割、キャリアコンサルタントが7割、そして(書道家としての)デザインの仕事が1割という感じですね」と倉橋さんは言う。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」とは言うものの、彼女の場合は3つの仕事が相乗効果を発揮して、とても良い循環になっているようだ。フリーアナウンサーとしてメディアに出ることで顔と名前が売れ、それがキャリアコンサルタントやデザイナーの仕事を拡大することに貢献している。
競争の熾烈(しれつ)なフリー女子アナの世界。アナウンサーとしての技量や実績で勝負するだけではなく、キャリアコンサルタントとして多くの大学で教壇に立ち、またデザイナーとして活動していることが付加価値となって、ほかの女子アナとの差別化要因になっていることは見逃せない。
収入の安定という意味においても、フリーアナウンサーという職業にのみ依存しないことで、生活不安のリスクを見事に回避できている。こうして見ると、倉橋さんは非常に戦略的に自らのキャリアを構築していると言えるだろう。
「でも、私も次第に年齢を重ねていき、その間に若くて優秀な人がどんどん出てきます。今までと同じやり方を続けていたら、そういう後からやってくる人たちにやがて取って替わられてしまうでしょう。年齢相応の自分ならではの独自色をいかに出していけるかが、私自身の今後の課題だと思っています。
私は、今年(2011年)初めに出産を経験しました。出産や子育ての経験をこれからの仕事の中で生かしていくのも1つの方法かな……などと考えています」
傍目にどんなに成功を収めているように見えても、倉橋さん自身は決して歩みを止めようとしない。常に自分を取り巻く不断の環境変化に注目し、そうした変化にいち早く対応して、自分自身を成長させ続けようとする。
その姿勢を保つ限りは、倉橋さんの将来は明るいだろう。1年後、5年後、10年後、彼女はいったいどんな姿を見せてくれるのだろうか? 今後の活躍が楽しみである。
嶋田淑之(しまだ ひでゆき)
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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