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「結婚するなら東電社員」だったけど……原発城下町住民のいま東日本大震災ルポ・被災地を歩く(2/4 ページ)

福島第一原発の事故前、原発城下町の双相地区では安定企業であることから「結婚するなら東電社員」と言われていた。しかし、事故を経て、原発で働いていた人たちの東電に対する意識も変化しているようだ。

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「東電に加害者意識がない」

 「東京電力は2003年の時に改心したつもりだろうけど……」

 Tさんがつぶやいた2002年8月、東京電力と原子力安全・保安院が原発の点検・補修作業の不適切な取り扱いについて公表。1号機の1年間の運転停止処分を受ける。2003年4月には、東京電力の原子力発電所全号機を運転停止した。また2007年には、29年前の1978年11月にあった3号機の臨界事故が公表されるなど、事故隠しの体質が変わっているわけではない。

 「加害者意識はないんですよ」


原発から3キロ圏内の表示

 そんなTさんは3月11日17時ごろには「なにかまずい」と思っていた。

 「地震が起きてから、仕事が解散になったんです。そして、大熊町の災害対策本部に行ったんです。すると、黒板にいろんな情報が書いてあった。それを見て、よい方向には進んでいないと思った。津波が押し寄せていることは知っていたし、何かが起きているんだろうと思った。でも、携帯電話が通じないし、具体的な情報は入ってこない。12日の朝には避難が決まり、バスで西に向かった。運転手は行き先を教えられていない。これは間違いなくとんでもないことが起きている。メルトダウンしているのかもしれない、と思ったんです」

震災直後で「メルトダウンか?」と思っていた

 Tさんは原発で働いていたからこそ、こうした緊急事態になることは何を意味しているか想像ができていたのだろう。

 「『レベル7の事故が起きている。もう永久に戻れないかもしれない。水戸から仙台までは人が住めないのではないか?』とまで考えたんです。官房長官が『ただちに影響はない』って、そんなこと言っていいのか。どういう意図でどんな情報が流れているのか。記事を書いている人も意味を理解できていない。部分的な情報を知っている人はいるとは思うけど、全容を知っている人はいないんじゃないか」

 事故後の3月中ごろ、再び第一原発に戻ってきたTさん。それまで報道で見ていた光景が目の前にあり、頭の中が真っ白になった。

 「すごい光景が広がっている。大変なところに来てしまった」

 トラックが縦に連なっているなど、むちゃくちゃだった。周囲には青いガレキもあった。「いったい何だろう?」と思ったら、それは建屋の外壁だった。その後、ヘリコプターから放水作業をすることになるが「しないよりはマシ程度だった」という。


事故時に出動した放水車

 「Jビレッジで自衛隊の人に会った時に『あれって効果あったんですか?』と聞かれたんです。その時は『あったと思いますよ』と答えました。『やらないよりはやった方がいい』とは言えませんでしたよ」

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