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コラム

「なめてかかって真剣にやること」の重要さ(1/3 ページ)

何かに挑戦しようとする時、能力が足りない、資金がない、環境が悪い、といった物理的な壁があってできないと思われる状況はしばしば起こる。しかし最もそれを阻んでいる壁は、実は自分の内に作ってしまう精神的な壁である。

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著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 随分前のことになるが、ボストン・レッドソックスに所属する松坂大輔選手が「なめてかかって真剣にやる」といった内容のことをコメントしていたと記憶する。「なめてかかる」とだけ言ってしまうと、「何を高慢な」となってしまいそうだが、その後の「真剣にやる」というところが松坂選手らしい言い方である。

 「なめてかかる」というのは決して悪くない。いやむしろ、それくらいのメンタリティがなければ大きなことには挑戦できない。今回はそんな壁を飛び越えよという話である。

私たちの前にたちはだかる2つの壁

 私たちの眼前には、常に無限大の可能性の世界が広がっている。しかし、その世界は壁に覆われていて、どれくらい広いのかよく見えない。壁の向こうは未知であり、そこを越えていくには勇気がいり、危険が伴う。

 一方、壁のこちら側は自分が住んでいる世界で、十分に勝手が分かっており、平穏である。無茶をしなければ、安心感を持って暮らし続けられるだろうと思える。そんなことを表したのが次の図である。

 「既知の平穏世界」と「未知の挑戦世界」との間には壁がある。これは挑戦をはばむ壁である。分かりやすく言えば、「〜だからできない」「〜のために難しい」「〜なのでやめておこう」といった壁だ。壁は2つの構造になっていて、目に見える壁と目に見えない壁とに分けられる。

 目に見える壁は、能力の壁、財力の壁、環境の壁などである。目に見えない壁は、不安の壁、臆病の壁、怠惰の壁などをいう。前者は物理的な壁、後者は精神的な壁と考えていいだろう。

 何かに挑戦しようとした時、能力のレベルが足りていない、資金がない、地方に住んでいる、などといった物理的な理由でできない状況はしばしば起こる。しかし、歴史上の偉人を始め、身の回りの大成した人の生き方を見れば分かる通り、彼らのほとんどはそうした物理的困難が最終的な障害物にはなっていない。事を成すにあたって、越えるべき最も高い壁は、実は自らが自分の内に作ってしまう精神的な壁なのだ。

 私たちは誰しも、「もっと何か可能性を開きたい、開かねば」とは常々思っている。しかし、壁の前に来て、壁を見上げ、躊躇(ちゅうちょ)し、“壁前逃亡”してしまうことが多い。そんな時、有効な手立ての1つは、「こんなこと大したことないさ」と自己暗示にかけることだ。やろうとする挑戦に対し、「なめてかかる」ことで精神的な壁はぐんと下がる。

 どんな挑戦も、最初、ゼロをイチにするところの勇気と行動が必要である。そのイチにする壁越えのひと跳びが、「なめてかかる」心持ちで実現するのなら、その「なめかかり」は、実は歓迎すべき高慢さなのだ。

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