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世界とは“自分の見えている範囲”ちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

私たちが何気なく使っている“世界”という言葉。しかし、それは誰もが共通して持っている概念ではなく、「個々人の見えている範囲に過ぎない」とちきりんさんは説きます。

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「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年10月18日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 2005年10月8日、パキスタンのカシミール地方でマグニチュード7.6の大地震があり、9万人もの死者が出ています。みなさん、この地震のことを覚えていらっしゃるでしょうか?

 一方、阪神淡路大震災の死者は6000人強、東日本大震災はその3倍近い1万6000人以上、また、9.11のテロ事件とニューオリンズのハリケーンの犠牲者が約2000人ずつです。

 「人命の重さが数に比例する」と言う気はありませんが、9万人が亡くなったパキスタンの地震より、犠牲者2000人の9.11の方が圧倒的な関心を集め、長く記憶されるのが世界の現実です。

 半面、パキスタンで大地震があったことを世界の人が知る時代になっただけでも、すごいこととも言えます。最近、世界のあちこちで大災害が起こっているような気がしますが、実際には「昔は遠い外国で起こった災害は、他国ではあまり報道されなかった」だけかもしれません。


世界各国の災害死亡者数(1980〜2000年、出典:社会実情データ図録)

 私はよく、「世界とは、自分が知っている範囲のことである」と感じます。知らないことは、存在自体が認識されません。私たちが「世界は……」と語る時、それは自動的に「私が知る範囲の世界は……」ということです。

 努力すれば、より多くを知り、自分の知る世界を広げることができます。けれども、誰にとっても「この世に存在しているすべてを知ること」は不可能です。

 読書家を自認する人なら誰でも「こんなにもたくさん読むべき(読みたい)本があるのに、時間がまったく足りない」という焦りを感じたことがあるでしょう。世の中には無限に広がる知の世界がありますが、すべてを知ることは誰にもできません。

 一方で、「知らないからこそ幸せ」という状況もよくあります。人間は、知れば知るほど楽しくなれるわけでも、幸せになれるわけでもありません。むしろ世界が狭いほど、知っている範囲が狭いほど、幸せだという場合も多いです。

 人は、自分より恵まれている人、豊かな人の存在を知らなければ、ねたみや焦燥を感じないで済むし、パートナーの浮気や裏切りを知りたくない人は多いでしょう。

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