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コラム

烏賀陽弘道氏の写真が伝える、飯舘村の1年相場英雄の時事日想(3/4 ページ)

元朝日新聞の記者で、現在はフリーランスとして活躍する烏賀陽弘道氏が写真集を刊行した。東電の福島第一原発事故を鋭く追及し続ける烏賀陽氏は、なぜ写真集を出したのか。写真が持つ力を、本書を通じて感じてほしい。

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 飯舘村について、烏賀陽氏は本の中でこう説明している。

 『事故を起こした福島第一原発から飯舘村までの距離は、およそ30〜50キロ。3月15日に福島第一原発2号機から噴出、上空で雲のような塊となった放射性物質は、風に運ばれ飯舘村の上空に達した辺りで雨や雪となり、地上に降り注いだ』

 この間、住民と村に緊急避難した近隣町村の住民たちはこの事実を政府から知らされなかった。国際原子力機関(IAEA)が3月末に避難を勧告、4月22日に国が全村避難を決定するまで、多くの人が放射性物質の脅威に無防備なまま晒され続けたのだ。

 先月、私も南相馬市に赴く途中で飯舘村を通った。耕作されなくなった広大な農地一面に黄色のタンポポが咲いていた。

 風景自体はとてつもなく美しい。だが、誰もいない村、しかも津波の被害がなく、旧来の住居や学校、農場の建物がそのまま残っているだけに、人の気配が全くない村は、異様な静けさに支配されていたことを鮮明に記憶している。

 先月目にした光景と、この写真集に写り込む美しい日本の原風景を見た瞬間、私は著者の真意を察した。この著作に載った写真素材の一つひとつは、本来ならば写真集に綴られてはならないものなのだ。手元の美しい写真ページを繰るたび怒りがこみ上げてくる。

 ペン、すなわち記事やルポを綴ることが本職である烏賀陽氏が、あえて飯舘の風景を主役に据えたのは、この異様な状態を世間に強く訴えることが主眼なのだ。

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