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コラム

あの歓声が忘れられない、相馬野馬追を見てきた相場英雄の時事日想(震災ルポ南相馬編)(4/4 ページ)

7月、筆者の相場氏は国の重要無形民俗文化財に指定されている「相馬野馬追」を見てきた。大津波の被害を受けたうえ、原発事故で生活の一部を奪われた市民たち。彼らの声を聞きながら、相場氏は何を感じたのだろうか。

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 ちょうど甲冑競馬を観戦していた私の両親が、地元の方々と話をしている場面に遭遇した。地元の商店主だという老人は、野馬追の意義や観戦ポイントを親切に父に説明していた。この中で、「東京の人にぜひ野馬追を観てほしい」との言葉も漏れ聞こえた。

 この年老いた店主は、こうも言った。

 「福島が東京に電気を送っていた。なのに、なぜ相馬の人は、こんな苦しい思いをしなければならないのか。野馬追という生活の一部を展開するために、どれだけの努力を払ったか、現地で実際に観て欲しい」――。

 2人の会話を聞きながら、東京で安穏と、なに不自由なく暮らしてきた私は、なにも言葉を発することができなかった。

 甲冑競馬が佳境を迎える中、私はスケジュールの都合で会場を後にせざるを得なかった。野馬追最大のイベント、御神旗を数百の騎馬武者が奪い合う「神旗争奪戦」は、来年以降におあずけとなってしまった。

 南相馬を離れる直前、私は再び同市鹿島区の仮設商店街にある地元飲食店・双葉食堂に立ち寄った(関連記事)

 顔馴染みとなった女性店主に、お行列や甲冑競馬に接した素直な印象を伝えた。店主は小高区の自宅と店舗を離れ、不自由な避難生活を同区で送っている。勝手な想像だが、彼女は店を臨時休業させ、野馬追を観戦したかったに違いない。

 店を離れる前、野馬追の執行委員長である桜井市長が発した言葉を伝えた。小高郷、そして標葉郷からの武者たちを讃えた「天晴れであった」という言葉、そしてその後に沸き起こった歓声の様子を。

「話聞いただけで泣けてくるよ」。

 ラーメン丼を並べながら、店主の声が擦れた。来年も必ず野馬追に来る。そう言い残して私は南相馬市を後にした。

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