警戒区域の解除は南相馬市に何をもたらしたか:東日本大震災ルポ・被災地を歩く(3/3 ページ)
2012年4月1日に一部解除された警戒区域。一時帰宅もできるようになった南相馬市では、新たな日常が見られるようになっている。
小高神社での「野馬懸け」が復活
私が相馬地方を訪れた7月下旬には「野馬追」が行なわれていた。東北六大祭りの1つで、国の指定重要無形民俗文化財だ。2011年は、南相馬市小高区が警戒区域に設定されていたため、相馬小高神社での神事はできなかった。しかし、今年は警戒区域が解除されたことで、2年ぶりに相馬小高神社で行うことができた。3日間(7月28〜30日)の観光客数も、2011年の3万7400人から15万9700人へと4倍以上になった。
相馬小高神社では、神事の1つである「野馬懸け」が行われる。裸馬を騎馬武者が追い込み、素手で捕まえた後、神社に奉納する。参加するのは、南相馬市小高区の小高郷、浪江町と双葉町、大熊町の標葉郷の人々だ。
2011年は相馬小高神社の代わりに南相馬市原町区の多珂神社で行われ、津波の犠牲となった小高郷騎馬会員の遺影を前にして、慰霊のための礼螺(れいがい)が吹かれた。野馬懸けが行われず、静かな神事となったために観光客はほとんどおらず、震災後を感じさせる風景となっていた。
今年は相馬小高神社境内を除染したことで、野馬懸けを復活させることができた。勇壮な武者姿に観光客は歓声をあげていた。標葉郷から参加した横山秀明さん(37)はこう話す。
「小高郷と標葉郷がよりよい絆を深め、野馬懸けが開催できたことには敬意と感謝を申し上げたい。2年ぶりの開催で震災前に戻った。しかし行列ができなかったのが残念。来年は行列ができることで平常に戻っていくと思う。ただ、私は浪江、大熊、双葉のある標葉郷の人間。警戒区域も解除されていない。平常に戻っていくことを願う」
相馬高校出身の千葉大大学院生の相良好美さん(25)は、双葉町の「町立小中学校児童生徒再会の集い」(7月27〜29日)の手伝いのついでに観に来た。
「出陣は見たことがありますが、新旗争奪戦と野馬懸けは初めて見ました。小高に来たのは震災後初めて。南相馬にこんなに人がいてうれしいです」
現在は相馬市に住んでいる相馬高校2年生、根本李安奈さん(16)は小高区出身だ。一時帰宅も何度か経験している。
「自分の家も小高区。一時帰宅した時、電気は通っていましたが、家にはカビが生えていたりとか、虫がいたりとか……」
この日は放送部として野馬懸けを取材していた。
「(小高の)街の中は誰もいないけど、ここだけに人がいるのは異様な光景だなと思った。ただ、こうした祭りができるのはうれしい。野馬懸けは初めて見たが、見応えも迫力もあった。祭りの魅力を伝えていきたい」
震災前は祭りを見たことがなかったとのことだが、地元の伝統行事を理解しようとするきっかけになっているようだ。
警戒区域は徐々に再編されている。7月17日、計画的避難区域に指定されていた飯館村は避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰宅困難区域に再編された。また8月10日に楢葉町は警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域となった。
これにより、警戒区域が解除されていないのは、福島第一原発がある大熊町と双葉町、そして線量が高い地域がある浪江町や富岡町のみになった。ただもちろん、警戒区域が解除されたからといって、人が戻り、街が復興するとは限らないのではあるが。
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