いじめ追放のカギは“自尊感情”の育成(2/2 ページ)
社会からいじめを少なくしていくためには、ありとあらゆることをしなければいけません。その方法の1つとして“自尊感情”を育むことが挙げられます。
社会全体で育みたい3つの態度
さらに、自尊感情の向上のため、1人の子どもへの働きかけ、だけではなく……大人が創る社会全体で育みたいと感じている態度を3つほど挙げます。
1.子どもに対しては「勉強ができる」以外の「いいところ」をどんどんほめよう!
まあよく言われることですね、「勉強ができる」以外の「いいね!」を見つけて表現しよう、ってこと。これだけ盛んに言われていても、「子どもの自尊感情が低い」という結果が出てきているのであれば、まだまだ社会全体に勉強以外の「いいところ」をほめる行為が足りない、ってことなんでしょうね。
子どもが親切にしてくれたら、「ありがとう!」と元気に言いませんか? 子どもが社会のルールを守っているのに気付いたら、積極的に「いい子だねー」と声をかけませんか? 一生懸命に絵を描いていたら「うまいねー」と言いませんか? お父さんやお母さんと話している姿を見たら「家族仲良しだねー」と声をかけませんか?
ほんのちょっとの大人社会からの積極性で、子どもはどんどん自尊感情が育まれます。「ほめる」だけではなく、「おはよう!」というあいさつだけでも、随分変わると思います。
2.「でしゃばり」を許容しよう!
「あっ、それ、私ならできます!」
「私はこんなことをやりました!」
こんな主張、大人社会では何かしにくい雰囲気がありませんか?「自慢」ととらえられて……。「自慢」は鼻につきます。また、チームプレーをあたかも自分ひとりでやったかのように主張する「手柄の横取り」もダメです。
しかし、それを気にするがあまり、「でしゃばる」(アピールする)ことが、必要以上に認められない風土が、日本社会にはある気がします。「和」を尊ぶ日本人だけに。
自分がほんとに、すごいことをやった(あるいはやれる)、と思ったことを、雰囲気に押されて言わずにいると「すごいことが表に出ず、社会価値創造につながらない」「“みんなの足並みが揃って”のことしか評価対象にならず、革新的な提案が出てこない」「みんな心の中では同じように“できる”と思っていることが共有されず、本当はできることもできなくなる」などのデメリットも多いです。
そして、「でしゃばり」を否定しつつも、誰もが「認められたい」と思う気持ちがある、そんな社会が行き着く先は、「相対的に劣位に立つものを叩くことで、自分の立場を変えずに優越感にひたる」ことのまん延だと思うんです。早い話、道徳的に誰もが「ひどい」と感じる事象を必要以上に叩くことで、胸をなでおろす人が多い社会です(メディアに見られる現象と感じています)。
絶対的に素晴らしいと思えることを、ほんとにちょっとしたことでもいいですから、それをアピールした人間を「すごい!」と言い合える社会。そんな「でしゃばり」を許容する社会の方が、今よりも自尊感情が育まれると思います(米中韓の3カ国を見ると、自己主張をしっかりすると思いませんか? 自尊感情が育まれているから、と見ることはできませんか?)。
3.大人がひがまない!
自分が持ってなくて、他の人が持っているもの。自分にできなくて、他の人ができること。この「自分」が「自分たち」というマジョリティになると、なぜか日本社会は、他の人を、持たない、できないようにするベクトルが働く、そんな気がしています。「ひがむ」という精神構造が影響しているのでは……とも。
これだけはハッキリ言えます。大人社会にひがみがまん延していれば、決していじめはなくならない、と。
できるやつは、できる。持っている人は、持っている。それでいいじゃないですか。
これを認めることから……自分にしかできないこと。自分しか持っていないもの。それを探し、見つけ、自尊感情の芽を心に育めるのではないでしょうか。自尊感情を育む方法はいろいろあるでしょう。ぜひ、みなさんで思いついた方法を実行してほしいと思います! (寺西隆行)
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