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官僚からマスコミまでつかう、責任逃れができる「東大話法」ってナニ?窪田順生の時事日想(2/3 ページ)

奇妙な言い回しで責任逃れをしている人は多い。例えば「この問題については議論が足りない」などといって、ウヤムヤにしてしまうのだ。こうしたテクニックを最も上手に使いこなしているのは……。

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本音を隠す欺瞞的話法

 出席者のなかでこの会議はバカバカしいと打ち切ろうとする人がいると、必ずこのような欺瞞を覆い隠すための「東大話法」を展開する人がいます。

 「たしかにそのような議論もあるかと思いますが、私としてはまだまだ議論が足りないと思っています」

 この「議論が足りない」という言葉は、政治家が好んでよく使い、なるべく決めたくないことを「議論が足りない」とか「そこまで議論が煮詰まっていない」などと言い訳をして、のらりくらりとやっているうちに塩漬けにしてしますのです。会議とはそもそも、何かしらの結論を出すという目的で議論をおこなうはずなのですが、いつの間にか議論そのものが目的にすり替えられているのです。(本文128ページより)

 分かる分かる、という声が聞こえてきそうだが、日本企業の特徴のひとつである“会議のための会議”をムダだと思っているビジネスパーソンは多い。この「議論が足りない」というのは非常に使い勝手がいい。安冨教授が指摘をするように、問題を先送りするほか、議論を“誘導”することもできる。

 まだ新米記者の頃、さる政治家にインタビューをした。ある法案について考えを探ろうと、あれやこれやと質問を変えてみたものの、そのセンセイはまるでオウムのようにこう繰り返した。

 「その件に関してはまだまだ議論が足りないと思っています」――。

 なんだかなあと思って、ふとその法案について「個人的にはこう思いますがね」的な主張を一席ぶってみた。すると、そのセンセイ、私の「立場」が分かってホッとしたのかいきなりベラベラと持論を述べ始めた。

 要するに、彼の「議論が足りない」というのは、「オレが導きたい結論じゃないんだよね」という本音を隠す欺瞞的話法だったというわけだ。

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