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コラム

大手メディアを訴えてはどうか “雁首”を間違えた問題相場英雄の時事日想(3/3 ページ)

兵庫県尼崎市の連続死体遺棄事件を巡り、被告とは全く別人の写真を多数のメディアが取り違えて掲載した。このところメディアのチョンボが相次いでいるが、その背景には組織そして記者の劣化が始まっているからかもしれない。

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 記者の質問に対し、私はこう答えた。

 「取材が可視化されようが、記者がウラ取りをするという作業自体は変わらない。記者のスキルが低下しなければ、メディアの存在感が失われることはない」――。

 東日本大震災のあと、避難所や給水所の場所を探す人たちが真っ先に頼ったのが地方紙や地方テレビ・ラジオ局が発信した情報だった。どんな短い情報であれ、記者がウラ取りし、発信した情報には信ぴょう性があった、という内容で在京紙の記者に話を続けた。

 先週の当欄でも、記者がネタを掘り起こし、それを取材対象者に当てれば、SNSで発信力が高い向きでも恐れることはない、と指摘した(関連記事)

 だが、先週の一斉チョンボである。別人写真が一斉に掲載・放送された今、私は前言を撤回せねばならないと真剣に考えている。 

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