コラム
社長はなぜ偉いのか(2/2 ページ)
歩も王将も、しょせんは同じ木のコマ。いくらでも取り替えがきく。社長の肩書自体が26%の組織の基礎支持率を持っている。これを割り込めば、その社長は組織そのものの信頼性を毀損している。一時の員数合わせではなく、その後にどれだけ有能な人材が集まってくるかが、その社長の偉さだ。
一方、社長が社長でいられるのは、従業員がいて、取引先がいて、株主たちがその人を黙認しているというだけ。どのみち、上に何が乗っかっていたって、実際に現場で戦うのは、桂馬や歩、飛車角なのだ。王将など、しょせん同じコマの一つ。桂馬や歩以上に、いくらでも人としては取り替えがきく。組織の基礎となる26%の支持さえも取り付けられていないなら、実質的にはその人はすでに完全に社長失格。もはや組織本体の信頼性を食い潰して延命しているだけ。会社のためを考えて、早く取り替えないと、会社そのものが沈没する。
「あの人の下で働いてみたい」と、人に思わせるのは容易なことではあるまい。ただでさえ、人は誰も自尊心が高い。実際、26%は、会社と第一派閥に頭を下げているのであって、その社長本人に頭を下げているわけではない。そして、たとえ一時の員数合わせで社長になれても、それ以上の人間的な魅力がなければ、会社の方が傾く。
つまり、社長が偉いのは、社長という肩書ゆえにであってはならない。より多くの有能な人材が進んで集まってくるような人間的な魅力があってこそ、だれもがその人物にみずから頭を下げるのだ。(純丘曜彰)
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