企業は誰のもの? “縁起のいい経営”を考える:MBA僧侶が説く仏教と経営(2/2 ページ)
東大卒業後、インドでMBAを取得した僧侶・松本紹圭氏。連載では経営用語を仏教用語に置き換えながら“借り物でない日本的経営”を思索していますが、今回は縁起観に基づき「企業は誰のものか?」という永遠の命題を考えます。
企業は誰のものか?
また、縁起の見方からすると、「企業は誰のものか」などという議論もあまり意味をなしません。誰のものも何も、誰のものでもないのです。株主のものでもないし、社長のものでもない。社員のものでも、顧客のものでもない。では誰のものか?
誰のものでもいいのです。問題はそこではない。大切なことは、企業活動が関わりある人や生き物、すべての世界に対して良い影響を与えているかどうか、それだけです。
経営者にとっては、企業は縁あって経営のかじ取りをすることとなった「預かりもの」の船。船長は乗組員も乗客も元気に楽しく過ごせるように気を配り、海を汚さないように配慮もしながら、航海を続けます。時には嵐もやってくるでしょう。荒波に堪えながら、乗組員とともに船長も成長していきます。誰が上で、誰が下ということもありません。網の目に上下がないのと一緒です。
「華厳経」というお経には、インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網が登場します。網の結び目には宝石がついていて、そのひとつひとつが他の一切の宝石をキラキラと映し出すのです。
本当に縁起がいい経営というのは、会社の調子が悪いときに神頼みする経営ではなくて、「おかげさま」「預かりもの」の精神を経営の根幹にすえた、人を大切にする経営です。キラキラと輝く企業を育てたいものですね。
松本紹圭(まつもと・しょうけい)
1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。蓮花寺佛教研究所研究員。米日財団リーダーシッププログラムDelegate。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のWebサイト「彼岸寺」を設立し、お寺の音楽会「誰そ彼」や、お寺カフェ「神谷町オープンテラス」を運営。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。現在は東京光明寺に活動の拠点を置く。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。著書に『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社)、『「こころの静寂」を手に入れる37の方法』(すばる舎)、『東大卒僧侶の「お坊さん革命」』(講談社プラスアルファ新書)、『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー21社)、『脱「臆病」入門』(すばる舎)など。
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