“人道的な戦争”とは何なのか?:リアリズムと防衛を学ぶ(3/3 ページ)
対人地雷などの兵器や、捕虜の虐待は「非人道的だ」と批判され、国際条約で禁止されています。一方、代表的な大量破壊兵器である核兵器は禁止されていません。今回は“人道的な戦争”とは何なのかという問題を考えます。
なぜ核兵器は禁止されないのか
もっとも理想的にはそうだとしても、今の国際社会で人道法の理想がすべて実現できているわけではありません。
その代表例が核兵器です。核兵器は効果範囲がとても広いため、区別の原則を守ることができません。その上、放射線の害を残しますから、不必要な苦痛を与える兵器とみなせるでしょう。にもかかわらず、禁止はされていません。
毒ガスが駄目なのに、なぜ核兵器はOKなのでしょうか。それは、人道的に悪であれ、国際法的に否であれ、軍事的にはどうしても否定できないものだからです。
捕虜虐待や民間人への攻撃は、そもそも軍事的にもあまり合理性がないので、禁止されたなら国々はそれに従えます。毒ガスや生物兵器であれば、廃棄したところで、別の手段があります。しかし核兵器のように、「なくしたらほかに替えがきかない」と核保有国が考えている兵器については禁止は難しいし、禁止法ができたところで空文化は必至です。国際司法裁判所の勧告でも、基本的には核は違法だよねとしながらも「国家の生存そのものが危うくされるような自衛の極限的状況においては……確定的に結論することはできない」とするほかありませんでした。
もっとも人道の観点から核兵器を批判することで、核の使用を難しくする、という効果は恐らくあるでしょう。戦争という行為そのものを人道的に批判するのも、同様に決して無意味ではなく、一定の効果はあるものと考えられます。
ですが一足飛びに、人道だけを根拠にして、法律を書いた紙さえあれば、どんな兵器や戦争も禁止して世界を平和にできる、というわけでは残念ながらないのです。
最悪の中の最善を求めるということ
ところで、国際人道法の成立にかかわった赤十字国際委員会(ICRC)は、人道法の普及活動を盛んに行っています。法律を各国の軍人が知っていなければ、法の守られようがないからです。
次の画像はICRCのメンバーが、国際人道法のレクチャーをしているところです。青空教室で授業中、といった風情ですね。講義を受けている人たちは銃を抱えています。そんな時まで常に銃を携帯してとは、まともな国の軍隊ではありえません。常に内戦をしているような国の、兵士なのか山賊なのかあいまいなような集団ではないでしょうか。
次の画像も人道法のレクチャーを受けている受講生たちなのですが、こちらはもはや兵士ですらありません。どうみても非合法の武装組織です。
講義をしているICRCのメンバーは、このような受講生たちが明日や明後日にもまた戦闘をやって、誰か撃ち殺すんだろうな、ということを分かった上で、「その時にもルールがあるんだ」と話をしているのでしょう。そこで「そもそも人を殺してはいけないんだ」と説教したとすれば、それは正しいことかもしれませんが、それで戦闘が止まることは恐らくないでしょう。
戦争にルールを設けるということは、たとえ戦争が起こったとしても、今起こっている戦いを止められないとしても、「しかし、それでもなお」と言うことです。戦争がなくせないとしても、戦争の害を減らすことで、死傷する人を減らすことができます。完璧な理想ではないにしろ、ろくでもない現実を手直ししていくことが、多少はマシな世界を作るための道なのです。
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