『朝日新聞』をダマした吉田清治とは何者なのか 慰安婦強制連行を「偽証」:窪田順生の時事日想(2/4 ページ)
朝日新聞が「慰安婦」報道をめぐって揺れている。吉田清治の「慰安婦狩りをした」という証言について、朝日は誤りを認めたが、他は一歩も引かない構え。それにしても、この吉田という人物は何者なのか。調べてみると、興味深いことが……。
ますます謎が深まった
ただ、そんな朝日の検証記事を読んでみて、ますます謎が深まったことがある。
それは、吉田清治の動機である。どういう目的で、どういう得があって、彼はこのようなデマカセを触れ回ったのか。ガセネタを食わされた“被害者”のような書きぶりなのだから、このあたりのもうちょっと探ってもいいはずなのに、朝日は気持ちいいくらいにスルーしている。
仕方がないので、他の報道を見ていたら興味深い話を見つけた。『SAPIO 9月号』(小学館)に寄稿している元朝日新聞記者であるジャーナリストの前川惠司氏によると、ご自身が川崎支局員だった1980年ごろに吉田清治からネタの売り込みがあったというのだ。
横浜市内の吉田清治のアパートで3〜4時間話を聞いたそうで、山口県の労務報国会にいて、朝鮮の慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう:日本統治時代の朝鮮の行政区画のひとつ)「徴用工狩り」をした体験を語ったらしい。ただ、強制連行したという現場を聞いてもはっきりせず、辻つまの合わないところがあったという。
当時からうさん臭さ満点の情報提供者だったというわけだが、特筆すべきはこの時点で後に彼のメシのタネとなる「慰安婦狩り」についてはまったく触れていなかったということだ。つまり、1980年にはまだ“シナリオ”ができていなかったのである。
では、そんな吉田清治が「慰安婦狩り」という物語を創作したのはいつ、なにがきっかけなのか。吉田のことが書かれた記事が朝日で初掲載されたのは1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で行った講演で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とぶちまけた。つまり、シナリオは1980年から1982年の間に練られたということになる。
ご本人もすでに鬼籍に入っているので真相は分からないが、この2年の間に吉田氏にインスパイアを与える「何か」があったと考えるのが自然である。
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