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インタビュー

銀座で“異変”! なぜ26歳の女性が、高級クラブのママになれたのか仕事をしたら“銀座のママ”になった(前編)(1/7 ページ)

バブル崩壊後、銀座のクラブで破られなかった記録がある。それは「最年少」「最短」のママ。20年以上に渡って破られなかった記録が、ある女性によって更新されたのだ。銀座界隈で“異変”と呼ばれている女性に直撃したところ……。

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 座っただけで数万円、ボトルをキープすれば十万円を軽く超える……。上場企業のトップ、政治家、芸能人など各界で活躍している人たちが交流を深めるところが、東京・銀座の高級クラブだ。

 バブル期には銀座だけで約3000軒もの店が軒を連ねていたと言われるが、バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災などを経て、その数は激減。クラブ業界が厳しい環境を強いられている中、“異変”が登場した。

 桃谷優希さん、26歳――。夜の銀座で働き始めて2年ちょっとで、老舗の高級クラブのママに。バブル後、最短&最年少ママが誕生したことで、銀座の街がざわめき立っているのだ。

 桃谷さんは大学卒業後、大阪の北新地で1年間ヘルプ(特定のお客を持っておらず、ママや他のホステスの補佐役)として働き、2012年に上京。その後、すぐに頭角を現し、こんな噂が飛び交った。「売上トップが何カ月も続いている」「彼女と同伴(お店に行く前に一緒に食事をすること)したい人がたくさんいて、予約をとるのが難しい」「複数のスカウトが狙っている」など。

 噂はすべて本当だった。とある店で売上トップが続き、複数のスカウトから「ウチの店に来ないか」という誘いがあったのだ。そして2014年10月、現在のクラブでママとして活躍することに。

 そんなにスゴいことなの? 美人だったらママになれるのでは? と思った人もいるのでは。答えは、NOだ。銀座のママになれるのは、30代後半〜40代前半が多い。若くてかわいかったらなれる、という甘い世界ではなく、実績がなければ難しいのだ。銀座で働く、ある黒服はこのように語った。「現在、銀座にホステスが何人いるのかは分かりません。ただ、『この街で生き残れる女性は、100人に1人』と言われています。そんな厳しい世界で、最短&最年少ママになった優希ママはものすごく注目されていますね」

 そんな狭き門を、彼女はどのようにかいくぐって今の座を手にしたのだろうか。銀座のネオン街で働きながら、作家でもある桃谷さんに話をうかがった。聞き手は、Business Media 誠編集部の土肥義則。


銀座のクラブで最年少&最短のママが誕生した(写真はイメージです)

桃谷優希(ももや・ゆうき)さんのプロフィール:

 1988年10月16日大阪府生まれ。16歳のときに処女作『デリンタ(悪魔の子)と呼ばれた天使たち』(文芸社)でデビュー。このほか『国民の声』(文藝書房)に寄稿、『罪追人』(文藝書房)、今春『赦れる天秤』を刊行予定。

 京都ノートルダム女子大学卒業後、北新地のクラブへ。クラブ「城」閉店後、銀座に移籍。銀座40周年の老舗「クラブセントポーリア」でナンバーワンの座を手にして、その後26歳の誕生日に高級クラブのママに就任。


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