お腹が減った、どうすれば? 福島原発に近いホテル(1泊7500円)に宿泊:烏賀陽弘道の時事日想(1/5 ページ)
筆者の烏賀陽氏は、福島原発の被災地を南北に貫く国道6号線を取材して、その日は近くのホテルに宿泊することに。シングル1泊7500円。決して安くないホテルで目にしたものは……。
烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:
フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。
前回に続いて、昨年11月に福島第一原発事故の被災地を南北に貫く幹線道路である国道6号線を走った報告を書く(関連記事)。この国道はかつての「警戒区域」(=立入禁止区域)である原発から半径20キロの半円形を縦に貫いている。昨年9月、除染作業の人員や物資の輸送の便宜のために国道6号の道路部分だけが開通した。走ってみると、道路の両側は実質的には住民が戻らないままの「40キロの空白地帯」が続いていた。
レンタカーを運転して、国道6号を北から南に走った。南相馬市、かつての20キロラインを封鎖していた検問跡を過ぎたあたりから、道路の両側に津波や地震で破壊されたままの廃墟が姿を現す。商店やガソリンスタンドが雑草で埋もれたまま朽ちている。信号はすべて青か点滅である。私のクルマの前後はダンプやワンボックスの除染や復旧工事作業の車両が連なっている。止まることはまずない。
脇道はすべて金属製の可動ゲートで封鎖されガードマンが立っている。道端にクルマを止めて写真を撮ろうとすると、5分もしないうちにパトカーがやって来て立ち退かされる。ひたすら走り続けるしかない。
毎時1マイクロシーベルト、2マイクロ……福島第一原発に近づくと、膝に上に置いた線量計の数字がするすると上がる。車内なのにこの線量だと、屋外はどれくらいなのか。背中にじっとり汗が出る。窓を開けるのもためらわれる。
区間内の平均空間放射線量は毎時3.8マイクロシーベルト。最大値は毎時17.3マイクロシーベルト(原発がある大熊町)。おそらくは世界一放射線量の高い通行路だろう。
じりじりと焦った。早く線量の低い場所に着かないか。早く線量の高いエリアを走り抜けたい。ハンドルを握りながら、そう思った。
焦っているせいなのか、信号で止まることもないのに、なかなか進んだ気がしない。南北40キロは思ったよりでかい。
これまで、何度もフクシマを取材しに来た。が、40キロの空白地帯の中に入って走ってみるのは初めてだ。中に入らずに、この空白地帯の大きさを実感することは難しかった。
考えてみてほしい。40キロという距離は、下道なら、道草を食わずに走っても、1時間前後かかる。私のように写真を撮ろうとあちこち止まっていると2時間くらいはすぐに過ぎてしまう。
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