連載開始から1年、取材を通して「スピードこそインターネットアクセスの最大の武器」ということを強く感じた。とくにユーザー宅の取材では、どのユーザーも実に満足そうな顔をして、そのサービスを選んだことを誇っていた。極論ではあるが、アクセス回線は何でもいいのだ。その先にあるコンテンツを待ち時間なしに快適に見ることができるか否か、それがすべてなのだ。ブロードバンドどうしでの競争が始まり、ユーザーがどのアクセス回線を選ぶべきか迷う日が来ることを願うばかりだ。
99年12月、東京めたりっく通信はADSL回線開通のセレモニーを華々しく行った。NTT市内電話網開放を受けてのことだ。しかし、NTTの対応の不備もあり、一般の第1号ユーザーの開通は2月下旬までずれ込んだ。
スピードネットが計画した無線インターネットは、東京電力の光ファイバー網を利用して、電柱に基地局を設置するもの。しかし、公約であった2000年夏のサービス開始は、電波や通信機器などの問題で実現しなかった。
フレッツ・ISDN(当時の名称はIP接続サービス)は99年11月から実証実験が進められていた。当初の料金は月額8000円(後に4500円)、エリアも東京と大阪のごく一部に限られていたが、NTT初の個人向け定額サービスとして期待が高まっていた。
ユーザー数が最も多いブロードバンドはCATVだが、提供エリアが限られるなど制約が多く、エリア内に居住しているだけで羨望の目で見られる。この取材後、タイタスはジュピターテレコムと合併し国内最大となった。
この記事が掲載された5月当時は、ADSLユーザーは760人(5月末の時点、郵政省発表)という時期。限られたユーザーの特権だった。このあと、郵政省の指導でNTTの対応が改善され、徐々にユーザー数を伸ばしていくことになる。