News:アンカーデスク 2003年11月25日 03:42 PM 更新

予想外に遅れる? ADSL上りの高速化

先週行われた情報通信技術委員会(TTC)DSL専門委員会スペクトル管理サブワーキンググループの会合は、上りの高速化に利用される方式をめぐって一時審議が紛糾した。実現にあたっては問題が多いことも明らかになり、予定されていた年内のサービス開始は難しい状況だ。

 これまで、ADSL回線の高速化といえば基本的に下り速度に主眼が置かれてきたが、それもいわゆる「Quad Spectrum」を使用するサービス(イー・アクセスの『ADSLプラスQ』など)で一旦打ち止め。業界の関心は上り速度の向上に移りつつある。そんな中、11月21に開かれたTTC(情報通信技術委員会)DSL専門委員会スペクトル管理サブワーキンググループの第5回会合は、上りの高速化に利用される方式をめぐって一時審議が紛糾する事態となり、同時にそれらの方式の導入にあたって予想外の問題が存在することも明らかになった。果たして、上り高速化に存在する障壁とは何なのだろうか?

AnnexC FBMへの干渉をめぐる激しい論争

 まず、そもそもなぜ審議が紛糾したのかといえば、原因は「上り高速化方式が、既存のG.992.1 AnnexC FBM方式(以下、FBM方式)の回線に対して大きな干渉を引き起こす」点にある。今回の会合では米Globespan Virata(GSV)が提案した「EU-G方式」、そしてイー・アクセスがセンティリアム・ジャパン、住友電工の2社と共同提案した方式(以下、3社方式)の2つが審議の対象となったが、中でも3社方式についてGSVとソフトバンクBBの両社が、「3社方式はFBM方式の下りに対して線路長1.25km以遠で大きな干渉を与えるため、仮にスペクトル適合性を確認しクラス分けを行うなら、限界線路長を1km以内とすべきである」として、強硬な反対論を主張したのだ。

 この2社がこれだけ強硬な反対論を主張するのは、過去の経緯が大きく関わっているからだ。もともとFBM方式を巡っては、総務省の情報通信審議会・DSL作業班の会議の席上において、TTCのスペクトル管理基準を定めた文書である「JJ100.01」でAnnexA sOL方式を「クラスA」(収容制限なし、保護判定基準値あり)に分類することに、FBM方式を実際に使用しているイー・アクセスらが強い反対を唱えていた。それは、ソフトバンクBBや長野県協同電算(JANIS)が利用している「G.992.1 AnnexA Shaped-Overlap方式」(以下、AnnexA sOL方式)がFBM方式に対して大きな干渉を及ぼすからだ。

 そのため、DSL作業班の会合終了後にNTT東日本・ソフトバンクBB、イー・アクセスら5社によって行われた事業者間協議では、AnnexA sOL方式を新しいJJ100.01(第2版)において「クラスA」とする代わりに、同方式の導入については事実上の数量制限が定められたほか、同方式がFBM方式に対して強い干渉を与えた場合にはAnnexA sOL方式側の事業者の費用負担で回線の収容替えなどの事後対策を行うことが定められるなど、ソフトバンクBB側にとってはかなり不利な条項を飲まざるをえなくなってしまった。それなのに、今回は当のイー・アクセスからFBM方式に対する干渉が非常に大きい方式の提案が出てきたわけで、ソフトバンクBBは「何のためにわれわれは事後対策などの条件を飲んだのか?」と強硬な反対論を唱えることになったのだ。

 しかし、これに対してはイー・アクセス側も「EU-G方式もFBM方式の上りに対しては線路長2.5km以遠で大きな干渉を与えており、それならEU-G方式も限界線路長は2.25kmとなる」(ちなみにGSVは限界線路長3.5kmを主張)として、問題があるという点では両方式とも同じであるという主張を展開。また自社で現在使用中のFBM回線との関係については「FBM回線はもともと長距離向けの方式であり、近距離向けでの使用に限られる3社方式とは基本的に住み分けが可能だ」として、実際には問題は起きないとの姿勢を取った。

 結局、両方式のクラス分けについては、EU-G方式は既に他方式の回線への干渉計算などの形式的要件を満たしているため、この26日にも結果を公表し、3社方式についてもメールベースで早急に結論を出すことになった。しかし、これはあくまでFBM方式への干渉を考慮しない形でのクラス分け。実際のサービス開始にあたっては、上記の経緯からFBM方式との干渉を考慮しないわけにはいかない。このため、主要なADSL事業者は、近日中に事業者間協議を行い「FBM方式を考慮した線路長制限や、それを超えて利用する場合の事後対策」などを検討する模様だ。

 そもそも、JJ100.01の第1版で保護対象となっていたFBM方式を同第2版において「クラスB」(利用制限はないが保護対象外)に変更するよう、前述のDSL作業班の席上で主張したのは、誰あろうソフトバンクBBの孫正義社長である。それなのに、今回ソフトバンクBBがFBM方式の保護を理由にイー・アクセス側の提案に反対するというのは、何とも皮肉としかいいようがない。会議中、NTT東日本の成宮憲一氏は、今回の議論について「まるでDSL作業班の時と攻守所を入れ替えたようだ」と感想を漏らしていたが、まさにその言葉が今回の議論を象徴しているといえる。

日米貿易協定が上り高速化を遅らせる?

 ところが、上り高速化方式が抱える課題はこれだけではない。実は日米貿易協定との関係で、上り高速化方式のサービス提供が大きく遅れる可能性が出てきたのだ。

 今回会合で提案された2方式は、基本的には先月行われたITU-T SG15会合において上り高速化方式として標準化が合意された「G.992.5 AnnexM」方式(以下、AnnexM方式)をベースとしている。しかし、今回の会合の出席者によれば、3社方式ではTCM-ISDNとの干渉を考慮してNEXT(近端漏話)時の送信電力をAnnexM方式より落としているほか、下り信号と上り信号のオーバーラップの方法などがAnnexM方式と異なっているとのこと。また、EU-G方式も、上り信号のスペクトルがAnnexM方式と異なり、要はどちらも厳密な意味ではAnnexM方式とは違う「独自仕様」の方式なのだという。問題は、この「独自仕様の方式」という部分だ。

 もともと、日本の通信事業者が新たなサービスを開始する場合、1990年に当時の郵政省と米国商務省が結んだ協定(関連リンクを参照)に従い、通常サービス開始の12カ月前、最低でも6カ月前には新サービスに関する技術仕様を一般に公開しなければならないというルールがある。これは、当時NTTが行うサービスについて端末機器の製造を、いわゆる「電電ファミリー」企業が独占しているとして、米国企業がそれらの機器製造に参入できるよう求めたため。このルールは現在も有効で、ADSL事業者が自社のホームページで技術仕様を開示しているのは、多くの場合、このルールが根拠となっている。

 一方、このルールの運用にあたっては、既に市場に広く出回っている機器を端末として利用する場合、あるいはITU-Tなどの機関で既に国際標準が定まっている規格を利用する場合には、事前の技術仕様の公開を必要としない(技術仕様の公開と同時にサービスを開始してよい)という例外が存在する。そのため、もし上り高速化方式としてAnnexM方式をそのまま利用していれば、TTCによるクラス分け完了後、すぐに約款申請→サービス開始と進むことも可能だったのだ。しかし、2方式がいずれも独自仕様を選択したことで、この例外の適用が受けられない可能性が出てきた。

 仮に例外が適用されないとすると、ADSL事業者の中でもっとも早く技術仕様を開示したアッカ・ネットワークスでも、開示を行ったのは今年の10月1日であり、サービス開始は早くても2004年の4月以降ということになる。最終的に技術開示期間の必要性を認めるかどうかは総務省の判断次第なので、もし総務省が2方式を「AnnexM方式に準じる方式」として例外の適用を認めれば早期のサービス開始もありえるが、このあたりがどう判断されるかは非常に微妙なところだ。

上り高速化をめぐりソフトバンクBB内部に足並みの乱れ

 また、上り高速化をめぐっては、今回の会合においてソフトバンクBB陣営に足並みの乱れが見られたことも特筆すべき点だろう。ソフトバンクBBは、前回の第4回会合において、同社の湯浅重数氏が「上り伝送帯域拡張についてのスペクトル適合性を早急に確認することを要望する」という内容の寄書(SMS-04-18、関連リンクを参照)を提出しているのだが、今回の会合では、前回会合を欠席した同社の筒井多圭志CTOが「現在1000万のDSLユーザーに対して大きなインパクトを与えるので、導入には慎重な検討が必要であり、このシステムの導入には反対」と、まるで正反対の意見を述べ、湯浅氏が慌ててそれを否定するシーンが見られた。

 筒井氏は「上り帯域の拡張は下り速度の向上のために必要となるが、それを必要とするのは下り速度が28Mbps以上の極めて限定的なユーザーだ」「競争政策上、他社が(上り高速化方式を)導入してくればわれわれも導入せざるをえないが、そうなるとスペクトルが汚染され、将来的なサービスプランが非常に難しくなる」など、上り高速化はADSLにとって「長期的には有害」とのスタンスを崩さなかった。それ以外にも、筒井氏が会議中「社内の意見を調整させてください」と発言して周囲の失笑を買うなど、ソフトバンクBB内部でコンセンサスができていない状況がうかがえた。

 ADSLの上り高速化は、ユーザーニーズも強まっていることから、遅かれ早かれその方向に進むことは間違いないと見られる。しかし、実現にあたっては問題が多く、当初予想されていた年内のサービス開始が厳しい状況であることは間違いない。次回のスペクトル管理サブワーキンググループの会合は12月5日に予定されているが、果たしてその席上でどのような議論が繰り広げられるのか。注目すべき会合となりそうだ。

関連記事
▼ 1km以内なら12Mbps以上の上乗せも―イー・アクセスのクワッドスペクトラムADSL
▼ やはり紛糾する「クアッドスペクトラム」
▼ 動き出す24Mbps ADSL 〜来週にも諸手続き開始
▼ 会議に踊ったDSL作業班の“着地点”
▼ DSL作業班、ついに決着
▼ nterview:最大50MbpsのADSLで何が変わる?
▼ センティリアム、ユーザー側モデム用の最大50MbpsのADSLチップ発表
▼ DSL作業班第7回、ITU-Tへのコメント提出はルール違反ではないとSBB
▼ 「干渉ノイズより回線自体の品質が速度に影響」DSL作業班第3回でJANISが報告
▼ ADSLはどこまで高速化する?
▼ TTC 【社団法人情報通信技術委員会(シャダンホウジンジョウホウツウシンギジュツイインカイ)】

関連リンク
▼ 1990 Agreement on Network Channel Terminating Equipment
▼ SMS-04-18「上り伝送帯域を拡張した方式のスペクトル管理について」(PDF)

[佐藤晃洋, ITmedia]

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.