宮崎県宮崎市。九州山地と日向灘に囲まれ、温暖な気候に恵まれたこの地に、「諦めない在宅医療」を提供する船塚クリニックがある。医院長の日高淑晶先生は、外科医として15年のキャリアを積んだ後、内科医に転科した異色の経歴を持つベテランだ。
医師になって20年がたったとき、在宅医療に特化したクリニックを開業した。「在宅医療は『家で最後の思い出を作る』というイメージがありますが、私は『家だからできる医療』を届けたい。『がん末期だから』『認知症だから』と諦めず、自分らしく生きられるようにサポートしたいのです」と日高先生は語る。
船塚クリニックの診療内容は、医師2人と看護師4人がペアを組んで患者を訪ねて診察やケアをする訪問診療が中心で、さらに予約制の外来診療も行っている。約180人の患者を抱え、訪問数は1日に約10件、多い日には20件以上に上る。少人数の体制で負担がかさんでいた中、看護師が1人退職。
限界を迎えつつあった船塚クリニックを救ったのが「AI」だ。ひょんなことからAIアプリケーションの開発に携わることになった日高先生。これが、地方の小さなクリニックが医療の未来を切り開く大きな挑戦の始まりになる。
訪問ルート考案に丸1日、患者180人分の計画書を作成――山積する課題
訪問診療に欠かせない作業が、訪問スケジュールの計画だ。移動時間を減らすために、近い場所をまとめて巡るなど効率的なルートを設定したい。これは「巡回セールスマン問題」と呼ばれるもので、複雑なものだとスーパーコンピュータを使って解くケースもある。船塚クリニックは手作業でルートを組んでおり、1カ月分の予定を立てるのに丸1日かかっていたという。
「訪問先を紙に書き出して、『来月はここを優先する』『この患者は火曜日は不在』『この患者は診察時間が延びがちだから余裕を持たせる』――こうした条件を加味したルートを計画しなければならず、担当者のノウハウに頼り切っており負担が集中していました。『誰でもスケジューリングできる状況』が理想ですが、その人しか対応できないというのが現実でした」
診察の記録方法にも課題が潜んでいた。医師が診察を行い、会話内容などを含めて看護師がPCに入力するというのが従来の流れだった。1日に10〜20件の診察をこなすため、録音を後から聞き直して記録を取るのは非現実的だ。
「看護師が『医師の話を一言一句聞き逃せない』というプレッシャーを感じていたこと、聞き手の思い込みによって情報が正確に伝わっていない可能性があるという問題点がありました。患者に医師の話が正しく伝わっているかどうか、私たちが患者の思いを正確に受け取れているかどうか振り返るのが難しい点も課題でした」
訪問診療の後に待っているのが「在宅療養計画」の作成だ。診療内容や来月の予定などを記載した文書を患者に渡して初めて、在宅時医学総合管理料(在総管)という診療報酬を算定できる。電子カルテを読み返して、時候のあいさつから始まる在宅療養計画を約180人分作るのは大変な業務だと日高先生は話す。
「AIは使い物にならない」からの大逆転 思いがけない転機が到来
「毎月の負担を改善しなければならない」と考えていた日高先生。何か手掛かりがないかと「ChatGPT」が登場した直後に試したものの、医療分野に関しては「ネット検索と大差ない」「使い物にならない」という印象だったという。それでもAIへの期待は頭の隅に残っていた。
転機は思いがけない形で訪れた。子どもの部活動の応援に行った日高先生は、仲の良い保護者の一人との雑談で「AIで何かできないか」とこぼした。相手はデル・テクノロジーズの西日本副支社長。あれよあれよと話が進み、AI活用推進プロジェクト「Project+」への参画が決まった。
Project+は、デル・テクノロジーズと日本マイクロソフトを中心にした参加メンバーで構成されているプロジェクトだ。「Microsoft 365」を使ってIT部門のPC運用管理の負荷ゼロを目指す「Project Zero」を前身とし、IT部門以外の業種・職種にも、AIを活用した「プラスの価値を提供したい」という思いがあると日本マイクロソフトの朝比奈洋輔氏は話す。
日高先生がProject+に入ったことで、ヘルスケア領域向けのAIアプリ開発が始まった。医療記録や個人情報などのデータを扱う以上、安全性に注意を払う必要がある。Project+では、ローカルAI処理を得意とする「Copilot+ PC」を採用。同PCについてMicrosoftは「これまでで最も速く、最も高性能な Windows PC」としており、高度なセキュリティ対策も備わっている。日高先生の下には、Copilot+ PCの一つであるデル・テクノロジーズの「Dell Latitude 7455」が届けられた。
AIアプリを開発するに当たり、「カルテはどのようなものか教えてもらうことから始めました」と朝比奈氏。その後、「訪問診療で使いやすい機能は何か」などを議論しながら要件を詰めていった。2025年4月までにヒアリングを終え、モックアップの開発に着手。微調整しながら7月にリリースした。
こうしてヘルスケア領域向けのAIアプリ「D-Medical」が産声を上げた。「AIの価値を広めたい」という思いから、同アプリは無料で公開されている。日高先生も、自身が使いやすい機能だけでなく、多様な医療機関で使えるように標準化を念頭に置いたアドバイスをしたという。
医療現場のAI活用 その効果
D-Medicalは「訪問ポインタ」「訪問記録」「在宅療養計画」という機能から成る。2025年7月からD-Medicalを使い始めた船塚クリニックでは、日々の業務負担が大幅に軽減されたと日高先生は言う。
訪問ポインタ
訪問ポインタは、毎月時間を費やしていた訪問スケジュールの計画と管理を支援する。患者の住所や「月曜日はデイサービスに行っている」といった個別の事情を入力しておくと、AIが訪問スケジュールを提案してくれる。
訪問先を地図で表示したり訪問先をカテゴリー別に分類したりすることも可能。丸1日かかっていた作業が数分で終わる上、ボタンを押すだけのため属人化も解消できると日高先生は喜びをあらわにする。
「『どのエリアに患者が何人いて、どのエリアが手薄だからもう少し患者を増やそう』といった戦略を立てるのにも役立ちます。シミュレーションができるので、クリニック経営の観点でもメリットがあります」
訪問記録
訪問記録の機能は、診察の在り方を大きく変えた。訪問時に持参するPCは2台――電子カルテ用のPCと、AI用のCopilot+ PCだ。患者の同意を得た上で、「Windows 11」の標準機能を使ってリアルタイムに文字起こしをする。これにより看護師が記録作業から解放された。
「これまでメモを取っていた時間を、他の業務に充てられるようになりました。看護師の視点で患者の様子を観察したり薬の副作用を確認したりすることに集中できます」
リアルタイム文字起こしされた文章を生成AIでSOAP形式※の記録に出力されます。宮崎ならではの方言があっても自然な文章に直してくれるという。クリニックに帰った後、AIに「この点についてまとめて」と指示することで「医師の意図はこうだったのか」「患者が言いたかったことはこれか」などを振り返りやすくなったと看護師も語る。
※「SOAP」とは、「主観的情報 (S:Subjective)」「客観的情報 (O:Objective)」「評価 (A:Assessment)」「計画 (P:Plan)」の各区分を分けて記載する方式
D-Medicalによって看護師が本来の専門性を発揮できるようになり、記録を気にせず患者との対話に集中できる。船塚クリニックのスタッフからは「患者さんと深い会話ができるようになった」と好評だという。
「患者がクリニックに訪れる外来診療でもD-Medicalを使い始めており、会話内容をレポート化してその場で渡すと『診療内容の理解が深まる』ととても喜ばれました」
在宅療養計画
訪問記録を基に、AIが在宅療養計画の下書きを作成する。これまでは「今月はこんなことをしました」という内容を患者一人一人に書いていたが、記録を基にAIが下書きして患者ごとに最適化した計画書を作りやすくなった。
AIが作った在宅療養計画をそのまま提出するのではなく、医師のチェックを通している。それでも作業の一部をAIに任せられるため「非常に楽になりました」と日高先生は評価する。
医療×AIを実現した技術たち
D-Medicalは、無料で利用できる。要件を満たすPCがあれば利用可能だ。これはD-MedicalやCopilot+ PCの価値を広めたいというProject+の思いから生まれた計らいだ。
D-Medicalが成功した背景には、Copilot+ PCの存在がある。Copilot+ PCは、AI処理の効率を上げる半導体「NPU」が搭載されている。その性能は40TOPS(1秒当たり40兆回の演算)を超える。PC内部でAIを処理できるため、「データ保護」「素早いレスポンス」などが特徴だ。
船塚クリニックが使うDell Latitude 7455は、CPUとしてQualcommの「Snapdragon X Elite」を搭載している。Snapdragonの名を冠したチップは、ソニーの「Xperia」など名だたるスマートフォンに採用された実績を持つ。パフォーマンス性と省電力性に強みを持ち、AI処理だけでなく「PCのバッテリー持ちが良くなる」といった効果もある。Qualcommは次のようなコメントを出している。
「Windows 11 for Snapdragonは、Qualcomm® Hexagon™ NPUの高度なAI機能を統合することで、高速でシームレス、かつ快適なコンピューティング体験を実現します。これにより、アプリの起動がスムーズに行えるほか、タスクの切り替えも簡単で、新世代のPC体験を可能にします」
Copilot+ PCで生成AIの言語モデルを動かせる環境を構築し、D-Medicalの土台を作ったのが日本AIコンサルティングだ。同社はAIモデル実行環境「IB-Link」を開発。IB-Linkは、音声認識やRAG(検索拡張生成)、業務アプリとの連携といった生成AI利用に必要な機能があらかじめ組み込まれている。同社は次のように説明する。
「IB-Linkが目指すのは、生成AIがいつもの仕事やPCの使い方に寄り添い、サポートする実用的な『AIと人とのパートナーシップ』の構築です。今回、D-Medicalが患者さまとの会話をAIが記録・要約し、訪問計画や在宅療養計画作りの負担軽減に貢献できたことは大変うれしい限りです。
患者さまとのコミュニケーションを大切にされる日高先生の『想い』を支えるAIとなれるよう開発を進める過程で、生成AIが人の『想い』をサポートし、最適なAIオペレーションエクセレンスを獲得するために必要な能力は何かを考え、その実装と調整を重ねてきました。 『想いをAIと共に実現する』――この立場、関係こそが、IB-Linkや私たちが提供するAIプロダクトの根底にあるコンセプトです」
D-Medicalを使うには、スペック要件を満たしたCopilot+ PCが必要だ。デル・テクノロジーズは、対象PCを無料で試せるトライアルプログラムを実施している。D-Medicalに関心がある医療機関は、一度相談してみるとよいだろう。
Project+は続いていく
船塚クリニックが実践するCopilot+ PCとD-Medicalの活用について、朝比奈氏は驚きをもって受け止めている。
「『AI活用』というと、資料作成の効率化や検索の時間短縮といった側面が注目されがちです。船塚クリニックは、医師や看護師と患者のコミュニケーションがより深くなる、診療の質が向上するといった、本質的な部分で活用しています。とても理想的です」
Copilot+ PCの機能を生かしたAI活用は、医療分野に限らずビジネス現場で広く注目されている。Project+として、生成AIアプリの開発体制がすでに整っているので、今後小売り向け、営業向け、IT情シス向け、教育向けなど業種・職種に特化したAIアプリ開発を続々と進めて行く予定だと朝比奈氏は説明する。
日高先生は最後にこう語った。「客観的に見れば『明らかに非効率』と指摘できるような問題点も、当の本人はそれを認識しておらず日々の頑張りで乗り切ってしまっているケースは多いのではないでしょうか。AIを使えば、仕事がもっと楽になったり、やりたい業務に時間を費やせたり、新しい世界が広がったりする可能性があります。まずは使ってみるのが一番です」
宮崎市のクリニックから始まったこの挑戦は今、全国の医療現場、AI活用に悩むビジネスパーソンにとって希望の光になるだろう。
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