1980年のオリーブドラブ――「Canon F-1 OD」:矢野渉の「金属魂」Vol.10
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。記念すべき第10回は、キヤノンの「Canon F-1 OD」だ。
中野南口のデパートで僕を待っていたもの
「1980――決断」
1980年、正月。遠い昔の話だ。あの時思いを込めて手に入れた金属が、今僕の両手の中にある。
80年代の始まりは、何か淡々とした雰囲気だった。後のバブルのバカ騒ぎの予感など微塵(みじん)もなく、むしろその数年前の「ドルショック」の影響がまだ残っていて、不景気感のほうが強かったのだ。
ちょうど大学の4年だった僕は、普通に就職活動をし、つてを頼って地方銀行の内定をもらっていた。あとは卒業試験を受けて、社会に出るだけだ。法学部だったし、銀行への就職は流れとしては良いことだった。親類たちも、もちろん家族も喜んでくれたし、自分の真面目(まじめ)な性格を考えても、これは最良の選択と思われた。
60歳ぐらいまで働くとして、あと約40年弱はある。新人で配属されるのは田舎の小さな支店だろう。外回りをしながら預金を集めるのだ。日当たりの良い縁側で出されたお茶をいただきながら、老人の世間話を聞いている自分の映像が目に浮かぶ。やがて上司や顧客の紹介で結婚をして、子供ができて……。そこまで考えたとき、猛烈な虚(むな)しさに襲われた。僕には耐えられない。
実はそのころ、僕は写真関係の仕事に就きたいと漠然と考えていた。大学入学以来、趣味として始めた写真にのめり込んでいたからだ。ただそのことを先輩に相談すると、返ってくる答えは判で押したように「趣味と仕事は分けた方がいい」だった。好きなことを仕事にしてしまうと、何かトラブルが起きたときに割り切りができないから辛(つら)いよ、と。
僕の考えはもっとシンプルなものだったのだ。毎日写真を撮って、それでお金をもらって生活できたら楽しいだろうな、ぐらいの気持ちだった。たとえ辛いことがあったとしても、写真を撮る楽しさに比べたら大した事ではないだろう……。
悩んだ時は、僕はアパートの近くにあった、中野南口のデパートの屋上に行くのが常だった。金網越しに新宿の高層ビル群を眺めると、なぜか良いアイデアが湧(わ)く。
デパートのエスカレーターで屋上を目指していたとき、僕は急にカメラ売り場をのぞきたくなった。月賦販売を売りにしているこのデパートでは、値段の張る高級機も数多く展示していたのだ。
そしてそれは、ショーケースの最上段にあった。
オリーブドラブに魅せられて
「Canon F-1 OD(オリーブドラブ)」。プロ用の機種は、ブラックの塗装と相場が決まっていて、市販モデルでこの色は極めて珍しい。僕の記憶では、このオリーブドラブ以外では「Leica R3」の「サファリ」というモデルしかない。
キヤノンは昔から、こういったプレミアムモデルには無関心なメーカーである。オリンピック協賛記念のモデルはあったが、それは上部カバー裏側に小さな刻印を入れるというささやかなものだった。むしろ圧倒的な技術力を前面に出す「理系の会社」というイメージが強い。
そのキヤノンが、フラッグシップのF-1を、まさかの戦車色に塗るとは!
「サファリ」に触発されたのかもしれないが、キヤノンもやる時はやるんだな、と思った。しかもこのタイミングで。まるで僕のためにカスタマイズしてくれたようなものだ。「3000台限定」の表示が僕の背中を押した。その場で僕はオリーブドラブを手に入れたのだ。そしてフォトグラファーになる決心をする。僕も、やらなきゃだめなんだ。
その後、入学した写真学校で同級生に勝手に質入れされ、質流れになりそうになったり、新宿で泥酔して置き忘れ、泣きながら歌舞伎町交番に駆け込んだらそこにあったり、このオリーブドラブは危ないところで結局、僕のところへ戻ってくる。不思議な因縁だ。
もちろんコレクターとしてオリーブドラブを買ったわけではないから、僕はこのカメラを仕事に使った。北海道から沖縄まで、共に旅をした。傷も、塗装が剥(は)げた部分もある。しかしそれも僕にとっては思い出だ。
1980。あの時の直感と決断が正しかったのかどうか、僕には解(わ)からない。ただ言える事は、僕はあの日からずっと写真を撮ってきたし、これからも写真を撮り続けるだろう、ということだ。
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