AirPods Proに学ぶ魔法とテクノロジーの境界線(2/4 ページ)
Appleのワイヤレスイヤフォン「AirPods Pro」が話題を集めている。さまざまな機能がうたわれているが、Appleの神髄はそこにない。Appleがかけた“魔法”を林信行氏が解説する。
ノイズコントロール機能にかけられた2つの魔法
例えば、「外部音取り込み」モードだ。
AirPods Proには、話題の「ノイズキャンセリング」モードに加え、「外部音取り込み」モードというのがあり、AirPod Proにあるくぼみの部分を指の腹でつまむと、軽く「ピッ」という音がして、そのまましばらくつまんだままにすると「ポワーン」という効果音とともに、外の音が聞こえ始める(切り替え操作には少し慣れが必要だ)。
それも特に人との会話では、まるでAirPods Proを外しているのと同じような感じで聞こえてくるのだ。最初、その音があまりにも自然なので、これは新たにできた通気口から直接入ってきている音だろうと思った。そしてAirPod Proを外してみた。
その間、聞こえてくる声は音量もタイミングも全くずれることがなく、変化することもなかった。「やっぱり、通気口からの音だった」と思った。しかし、その後でAirPods Proの「ノイズコントロール」に3つめのモード「オフ」というのがあることに気が付いた。
これは「ノイズキャンセリング」も「外部音取り込み」モードもオフにした、ただのイヤフォンにした状態だ。つまり、外の音は耳に押し込まれたイヤーチップ越しとなる。
試してみると、相手の声が明らかに小さくなり、それまで直に聞いていたと思っていた相手の声は、実はAirPods Proのマイクが拾って鼓膜に向けたスピーカーで再生していた音だったと気が付いた。
マイクで拾った外の音を、スピーカーでそのまま再生するパススルー機能は、一部のノイズキャンセリングイヤフォンには、以前から搭載されている珍しくもない機能ではある。だが筆者が驚かずにいられなかったのは、その音がAirPods Proを付けた状態と外した状態で比較しても、全く変わらなかったこと。
音が曇ることも、こもることも、ちょっと遅れるといったことも一切なく、直接生声を聞いているとしか思えないくらいに自然だった。そして、何よりもAirPods Proを耳から外した時と同じ音量だったからだ(その後、注意して試すと人が話している状態でパススルー状態のAirPods Proを耳に入れた直後、ゼロだった相手の声がだんだんフェードインしてきて大きくなり、ちょうどいい音量でピタッと止まっていることに気が付いた)。
確かにAirPods Proは鼓膜の方に向けられたマイクで音を拾い、常に耳の中に響いている音を調整していることにスペックシートを見て知っていたが、それだけでこんなに自然なパススルーが実現できるのだろうか。この全く違和感がないパススルーの実現には、おそらくかなりの試行錯誤を重ねた調整が必要だったはずだ。
例えば書き初めで何回も同じ字を書き直したり、うまく撮りたい被写体を何回も何回もカメラで撮り直したりしていると、「お、これはかなりよくできたかも」と満足できる結果にたどり着けることがある。その結果が出るまで試行錯誤を続けず、不満を残したままの結果でも、ちゃんと字としては読めるだろうし、何の写真かは分かるだろう。
しかし、そこで止めては人々に認めさせることはできても、感動させることはできない。「技術」はただの技術のままで「魔法」にまでは至っていないのだ。
以前、HOUSE VISION展というイベントのためにアーティストの杉本博司氏が「雨聴天(うちょうてん)」という茶室を作った(現在は江之浦測候所に移築)。飛び石の配置があまりに美しく、どう決めたのかを聞いたことがある。彼は「これだ」と満足できる配置に至るまで、ひたすら何度もクレーンで石を上げては置き、上げては置きを繰り返したという。
そこまでしないでも、ただ歩幅にあわせて石を配置すれば、飛び石としての要はなすが、妥協せずに試行錯誤を繰り返すと、突然、「これしかない」と思えるような心に響く状態にたどり着くことがある。Appleの物作りは、この妥協しない試行錯誤を他のどのメーカーよりも真剣に行っているのだと筆者は思う。
ところで、タッチセンサーを使った「ノイズコントロール」モードへの切り替えも非常に素晴らしい出来で、これもAirPod Proを魔法と感じさせるのに一役買っている。
AirPods Proのタッチセンサーをホールド時(しばらく押さえたままにする)の操作はiPhoneを使ってカスタマイズできるが、初期設定では「ノイズキャセリング」モードと「外部音取り込み」モードの切り替えになっている。
この両モードを行ったり、来たりする操作がなんとも心地よいのだ。
映画などで、登場人物の気分が高揚してくると挿入歌がかかり始めて、街の騒がしい音が消えて音楽に合わせて心が躍り始める。そして挿入歌が終わると、再び街の騒音がフェードインしてきて登場人物が現実に引き戻される、といった描写が行われるが、あれをそのまま体験できるのだ。
ピーンという音とともに騒音がフェードアウトして消え、ポワーンという効果音とともに外の音がフェードインしてくる。Appleは、おそらくこのフェードの時間などに調整に調整を重ね、人が最も心地よく、魔法のように感じるタイミングを試行錯誤している。
これまで筆者もいくつものノイズキャンセリングヘッドフォンを使ってきた。いずれもノイズキャンセル機能はオン/オフを切り替えられる(ものによってはノイズキャンセルの度合いを調整できるものもある)。そして周囲の騒音が消えると、それはそれで魔法のように感じられる部分があるにはあった。
しかし、このわずかなフェードイン/アウトの時間と、あの絶妙な効果音を入れることで、Appleはこの単純なオン/オフ操作を、2つの異世界を行ったり来たりする体験に変えてしまったのだ。
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