Appleはいかにして「今日のAIやWeb」を予見したのか? “暗黒時代”とも呼ばれた1985~1996年の光と影:Apple 50年史(中編)(1/5 ページ)
1985年から1996年、スティーブ・ジョブズ氏が不在のAppleは混迷の時代を過ごしたが、この時期は現在のテクノロジーに通じる数多くの「未来の種」をまいた時代でもあった。本記事では、当時の野心的なプロジェクトの数々をひもとき、波乱に満ちた11年間の光と影に迫る。
1985年から1996年までの11年間、Appleはスティーブ・ジョブズ氏が不在だった。ジョブズ氏が招き入れ、そしてジョブズ氏を追い出すことになった経営者ジョン・スカリー氏は、元々ペプシコーラを成功させたマーケターで、コンピュータの勘所は持っていなかった。
しかしだからこそ、それを補うようにアラン・ケイ博士らの専門家を引き入れ、「Advanced Technology Group」(先端技術グループ)を設立。十数年後のコンピュータのあり方を模索し、業界最先端の研究を次々と打ち出した。
一方で製品化に至らない長期プロジェクトが増え、1992年のWindows 3.1、1995年のWindows 95の台頭でGUIという優位性も失われていく。次世代OSの完成が遅れる中、AppleはついにNeXTをジョブズ氏ごと買収。しかし結果として、買収した側のApple経営陣が追い出され、ジョブズ体制へと移行するという、波乱のドラマが待っていた。
この記事では、4月1日に50周年を迎えるAppleが、世の中に何を与えたのか、そしてどんなAppleの特質が途切れず今にも引き継がれているのかに焦点を当てて紹介したい。
1987年に制作された21世紀のコンピュータ像を描いたビデオ、Knowledge Navigator。当時Appleが作っていた教育向けのテレビ番組シリーズなどで紹介され、数種類のバージョンがある。最もよく知られているのが大学教授が主人公の動画だが、「ノートルダムのせむし男」の白黒映画で始まるバージョンもかなり示唆に富んでいる
未来のビジョンを提示し続けたジョブズ不在時代(1986~1996年)
1987年、Appleは2000年代頃の未来のコンピュータ像を描いたコンセプト映像「Knowledge Navigator」を制作し披露する。Appleの高等教育マーケティング担当のバッド・コリガン氏がプロデューサーとなり、アラン・ケイ博士のダイナブックの考えやケイ氏自身に影響を与えた先人たちのビジョンを、実生活のシナリオに落とし込んだストーリー仕立ての映像で、21世紀初頭をイメージして作られたという。
最も有名なのは大学教授が主人公の映像だ。Appleロゴの付いた折りたたみ式デバイスを開くと、画面に人の姿をしたエージェントが表示され、今日の予定を確認したり、電話を取り次いだり、講演に必要な資料を集めさせたりと、まるで今日の生成AIでやっているのと同じようなことを音声操作でやらせていた。
この映像には複数のバージョンがある。筆者が好きなのは、大学で建築を教える母親がガラス板のようなスクリーン上で構造を比較しながら議論している間、キッチンでは知的障害を抱えた子どもたちがお菓子作りを通して、計量の仕方をナレッジナビゲーターに教えてもらうというものだ。
秋の公園で読み書きができない初老男性が読み方を教わる映像や、フランスのカフェテラスで耳の不自由な女性がメガネ型のデバイスでミーティングをする映像もあった――相手の言葉やウェイターが話すフランス語の翻訳、必要なデータがリアルタイムでメガネに表示される。
いずれも、最近になってようやく現実味を帯びてきた技術だが、Appleが1980年代末に作っていたコンセプト映像には既に描かれていた未来だ。
この当時、Appleにはアラン・ケイ氏やレーザープリンタの発明者、ギアリー・スタークウェザー氏らもAppleフェローとして関わっているAdvanced Technology Groupがあり、ここで数十年後の未来のコンピューティングについての議論が毎週行われていた。
今でも続いているApple開発者会議の「WWDC」で、中日に当たる水曜日はATGナイトというイベントが行われ、WWDCに参加した開発者だけにAppleが思い描く十数年後の未来のコンピュータ像や最新の研究技術が披露されていた。
未来のApple製品に出てくるAIエージェントには「フィル」という愛称がつき、それをイメージしたバトラー(執事)の格好をした研究者がホスト役を務めた。
ジョブズ氏の復活直後まで、大きな期待が寄せられていたのがOpenDocという技術だ。当時のソフト開発者は機能数を競うあまりアプリが肥大化し、使いにくくなっていた。OpenDocはこれへの反省から生まれた発想で、アプリごとに異なる書類フォーマットを共通化し、必要な表示・編集機能だけをOSに追加するパーツとして組み合わせるという仕組みだ。
Apple単独ではなく、IBMやノベルといった大企業とも連携し、MacやWindows、OS/2をまたいだ互換性を目指していた。AppleとIBMの合弁会社タリジェントが開発していた次世代ビジネスOS「TalOS」もOpenDocを基盤としており、21世紀のコンピュータ環境の中核になるはずだった。しかし、ジョブズ氏復帰直後の1997年3月、開発中止が発表された。
1990年代前半、文章はワープロ、写真は写真加工ソフト、動画は動画編集ソフトと扱えるデータがアプリによって分断されていることが多かった。OpenDocはアプリ中心ではなく、文書中心の作業方法を提案。アプリではなく、文書から呼び出せる編集機能(パーツエディタ)を使って作業をするコンピュータ環境を提案していた
AppleとIBMが未来のコンピューティング環境を構築するために設立したTaligent。Pinkというコード名で呼ばれていた次世代のMac OSや、それに続くメーカーを選ばないTalOSを開発していた。情報をPeople(人)、Places(場所)、Things(物)といった単位で分類する方法などビジネス用途を意識した示唆に富んだアイディアが満載で、それらをまとめた書籍まで発売されていたが、CEOの突然死などで混乱してからは開発が滞り、1998年1月にIBMに吸収された
関連記事
「普通の人のためのコンピュータ」はいかにして生まれたか? 「Apple I」から「Macintosh」への軌跡
4月1日で創立50周年という大きな節目を迎えたApple。同社の原点は、一部の専門家のものであったコンピュータを「普通の人のためのコンピュータ」へと変革することにあった。林信行氏が全3回にわたってAppleの歴史を振り返る小特集の第1回は、初代「Macintosh」の誕生まで、初期の歴史を振り返る。実は最古のPCブランド「Mac」進化の旅路と、1980年代を象徴する“ニューメディア”を振り返る(前編)
初代Macintoshがデビューしたのは、今から40年前の1984年1月24日だ。その歴史は山あり谷ありだったが、次の50周年に向けて歩みを振り返ってみた。あの時、Appleは何をしていたのか 数々のデジタル革命をApple視点で振り返る(後編)
初代Macintoshがデビューしたのは、今から40年前の1984年1月24日だ。その歴史は山あり谷ありだったが、次の50周年に向けて歩みを振り返ってみた。Macは30年を経ても「最高の自転車」であり「最良の紙」
個人のクリエイティビティを増幅するコンピュータ、Macの30年を林信行氏が振り返る。Macは何が“特別”なのか。伝説のデビューから25年、初代Macを振り返る
初代Macintoshがデビューしたのは、今から25年前の1984年1月24日。その四半世紀の歴史はけっして平坦なものではなかったが、とにかくここまでは来た。おめでとう、Mac。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.