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「身バレ」におびえながらネットをしていた頃のこと

「身バレ」を何よりも恐れていたあの頃。今はみんな“出ちゃってる”けどいいのだろうか。

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オレの知ってるネットと違う

 現在のネット空間は、人間の顔であふれている。

 有名人だけではない。一般人の顔だって、Twitter、Facebook、Instagramにどんどん流れてくる。顔、顔、顔である。もはや慣れてしまったが、1999年頃のインターネットを思うと大変なことだ。いつのまにかネットには「平気で顔を出す人々」が登場しているのだ。

ライター:上田啓太

上田啓太

1984年生まれのブロガー。京都在住。15歳のときにネットに出会い、人生の半分以上をネットとともに過ごしてきた男。

個人ブログ:真顔日記 Twitter:@ueda_keita


Facebookを見て「いいの?」と思う

 私は、「顔出し」のハードルがものすごく高かった頃にネットの常識をすりこまれた。だからFacebookなんかを見ていると「いいの?」と思ってしまう。「出ちゃってるけど、いいの?」ということである。

 なにが出ちゃってるのか? 顔面である。人間の顔面が出ちゃってるのである。それだけではない。本名も出ちゃってるし、職場や学校の名前も出ちゃってる。さまざまな個人情報が出ちゃってる。

 「み……身バレするよ!」

 ついつい叫びたくなるが、Facebookは実際の知人とつながるためのものである。身バレの心配をするほうがおかしい。そもそも「身バレ」という言葉にピンとこない可能性すらある。「ネットでの活動が学校や会社の人間にバレる」ことである。これが怖いのである。

 あの頃のインターネットには、身バレにおびえながらネットをしている人が非常に多かった。だから「顔」と「本名」と「勤務先・学校名」は明かさないのが普通だった。「ハンドルネーム」というのも、そこから出てくる発想だった。

 以前も書いたように、1999年頃の私は「マダム」というハンドルネームでホームページを運営していた。しかし高校のクラスメイトにはマダムとしての自分を必死で隠していた。まわりは誰もネットなどしていない。だから、ホームページを持っていることがバレたら死ぬと思っていた。それはほとんどスパイのような意識だった。絶対にバレてはいけない。バレたら死ぬしかない!

 これは私だけではなかった。当時のホームページ管理人には、スパイのような意識をもった人間がすごく多かった。みんな、リアルにつながる情報の取扱いに敏感だった。顔なんか出した日には身バレの危険が高まる。本名などもってのほかだ。出してはいけない。スパイなんだから!

 たまに、なんらかのミスで身バレして、とつぜんホームページを閉鎖する人がいた。ある日、ページごと消滅しているのである。正体のバレたスパイが舌をかんで死ぬようなものだ。身バレしたら最後、閉鎖するしかない。スパイの世界は厳しいんだから。

 そんなふうに常識をすりこまれたから、Facebookを見ていると「いいの?」と思ってしまう。たくさんのスパイが顔をまるだしにして元気に自己紹介している。スパイ失格じゃないか。もちろん、実際はスパイでもなんでもないので、それでいいんだが。

Twitterでクラスメイトとつながる現代

 Twitterは、Facebookと比べると匿名性の高い場所だと思う。身バレしないように気を付けてつぶやいている人をたくさん見かける。Facebookよりはあの頃のインターネットの雰囲気に近いといえそうだ。

 しかし、リアルの友人とつながるためにTwitterを使っている人もいる。例えば、高校生がクラスメイトとしゃべるためにTwitterをしているのを見かける。アイコンは自分のプリクラだ。これはかなりおどろく。「クラスメイトとTwitterでつながる」という感覚が自分には想像できないからである。今やネットをしていて当然だから、クラスメイトに隠さなくてもいいということか。このへんは「昔と変わったなあ」と強く感じる部分である。

 しかし、クラスメイトとTwitterでつながる世界というのも、それはそれで大変そうだ。このあいだ、スタバで隣にいた女子二人の会話を聞いて思った。具体的にはこんな会話だった。

 「AちゃんとBちゃんって仲悪いよね」

 「うそ、仲いいでしょ」

 「えー、仲悪いと思うけど」

 「絶対仲いいって! Aちゃん、TwitterのアイコンでBちゃんと写ってるし!」

 この最後の発言におどろいたわけである。Twitterのアイコンで一緒に写ることが、「二人の仲のよさ」の証拠になっている。いわれてみれば、確かにそうなるかという感じ。仲のいい相手と写ったアイコンにするのは自然なことだから。これは盲点だった。

 へんな言い方だが、Twitterのアイコンですら「クラス内政治の道具」になるということなんだろう。誰と一緒に弁当を食べるか、誰と遠足のグループを組むかのように、Twitterのアイコンで誰と写るかも人間関係に影響するのだ。このへん、自分にはまったくない発想だった。

 そもそも私は、Twitterのアイコンに二人で写っている人間を見るたびに、「これじゃどっちが本人か分かんないだろ」と心のなかでツッコんでいた。アイコンに二人で写っちゃダメだろ、履歴書の写真に二人で写ってるようなもんだろ、と思っていた。

 「アイコンは一人で写るのが常識だろ!」

 ほんとうに浅はかだった。私は、ネットでの活動は知らない相手に向けてやるものだと思い込んでいたのだ。リアルの知人に向けてやるならば、アイコンに二人で映ろうが問題はない。既に顔は知られているから、簡単なプロフィールがあれば本人がどちらかは分かる。それどころか、アイコンで写る相手との仲のよさも周囲にアピールできるということか。

 この発見はすごく面白かったが、同時に、ものすごく大変そうだな、とも思った。身バレにおびえるネットも大変だったが、知り合いと普通につながるネットも大変である。アイコンで誰と映ればいいのか。これは、ものすごく奇妙で現代的な悩みである。

オレの知ってるネットと違う

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