Blendyの動画、なぜ炎上したのか理解できない人々(2/2 ページ)
牛という「家畜」を擬人化したら、そのまま「成果主義の社会」を描いただけになってしまったブレンディのWeb限定ムービー。自分たちは「家畜」なのだという現実を思い知らされて怒る人々と、その怒りを理解できない人々がいる。
とにかく気持ち悪いのは、「学校が評価する」ことですべてが決まる世界で、「学校に評価されるため」に努力する姿を「感動作」として描いたことにある。その努力の描写に巨乳を揺らして走る女子高生を描くというセクハラ疑惑については、実はあまり関係がない。学校が生徒の生殺与奪の権利を有するという世界観。殺されないためには、その絶対権力者に認められるしかないという世界観。認められるために努力する姿こそが美しい。この世界観そのものが、気持ち悪い。
昔、勤めていた企業で「評価は自分ではなく上司がするのだから、評価されるように振る舞いなさい」と指導されたことを思い出す。多くの企業には、スキルやコンピテンシーという「企業が望むスペック」を図るためのモノサシが用意されていて、そのモノサシによって評価=給料が決まる仕組みになっている。要するに「濃い乳を出す」というスキルがなければ評価されない“ウシ子”とまったく同じなのである。
けれど、企業の「成果主義」は実はあまりうまくいっていないケースが大半だ。成果を客観的に図ることが思いのほか難しく、中途半端に数値化しても、結局は上司のさじ加減となってしまう。「企業が望むスペック」というよりも「上司が望む人間性」が評価基準となりがちなのだ。上司が変われば評価基準も変わる。そういう現実に、反発する人と、唯々諾々(いいだくだく)と従う人がいる。だから、問題のムービーを気持ち悪いと思う人と、何が問題なのか分からない人がいる。
要するに、自分自身の価値を図る評価基準を、自分自身の内に持つか、外に持つかで、受け取り方が分かれている。
筆者自身は、このムービーを気持ち悪いと思う。努力が報われる世界は確かにすばらしい。しかし、その努力が、他者が定めた評価基準をクリアするためのものだとしたら、すばらしいと手放しでは喜べない。このムービーを「超感動作」だとはとうてい思えない。私は「家畜」ではない。自分の価値は自分で決めたい。あなたは、このムービーをどう思っただろうか。(日野照子)
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