P2P紛争の背景にあるもの
こうした裁判紛争が日米で発生した背景には、いったい何が潜んでいるのだろうか。
アナログと違ってデジタル化されたデータには、低コストで簡単に大量コピーができ、しかも何度コピーしても質的な劣化が発生しないという特徴がある。その意味でデジタルは、究極のコピー技術と呼ぶことができる。だからデジタル化した音楽を、ネットで自由に交換できれば、音楽業界は取り返しのつかない痛手を受けるというのだ。無料で手に入る音楽を、わざわざ代金を支払って買う物好きなど、いるはずがないからだ。そうなれば、だれも本気で音楽など作りたがらなくなってしまう。その結果、著作権制度が無意味になる日も遠くないだろう。
しかし、シェークスピアの文学も、モーツァルトの音楽も、何世紀にもわたって生き残り、いまでは世界の隅々にまで行きわたっている。確かにそれが最初に載せられた媒体は朽ち果ててしまっている。だが、文字や音符のような記号は、特定の媒体を離れて、時代や地域を超越した存在なのだ。だからデジタル技術だけが、情報の劣化を伴わない究極のコピー技術だとは言い切れないはずだ。
確かにインターネットは究極の情報流通技術だ。しかし、そこで流されていく情報は、音楽だけとは限らない。現にファイルローグの場合でも、交換できるファイルは音楽に限られてなどいないのだ。
だれでも見知らぬ人とネットを使って、さまざまな情報を、国境を越えて自由に交換できる時代が到来すれば、そこには未知の可能性が開かれるはずだ。もともとインターネットが目指していたものは、古めかしい中央集権的なネットではなく、新たな自律分散型のネットワークを構築することだったのだ。Napster紛争のさなか、米サン・マイクロシステムズはP2Pプロジェクトを立ち上げ、インテルがP2P技術の開発を強力に推進しようとしたのも、こうした可能性が存在しているからだ。
P2P技術は、著作権侵害のような違法な目的で使われることもあるが、適法な目的で使用される場合もある。違法な目的で使われていることを理由に、適法な使用まで一切禁止されてしまえば、こうした技術に秘められた限りない可能性は、遠く歴史のかなたへと、永遠に消え去ってしまうだろう。かつてホームビデオの録画が、映画の著作権を侵害するとして、ソニーがハリウッドの映画会社から訴えられた事件で、米国の連邦最高裁はソニーを勝訴させている。あのときソニーが負けていれば、ホームビデオは葬り去られていたのかもしれない。
ファイルローグ事件で音楽業界側は、著作権付きの音楽ファイル交換だけの禁止を求める形をとっている。だが現時点では、著作権保護の理想と、新たな技術の可能性を、矛盾なく調和させる方法を探し出すことに、だれ一人成功していない。
裁判所の命令を受けて、海賊版音楽の排除に向けたシステム技術を開発しようとしたNapsterの試みも、前述したように失敗に終わっている。だからこの事件で、もし音楽業界側の主張が認められれば、P2P技術は事実上、終わりを迎える可能性が強いだろう。
デジタル技術と著作権問題
今年の2月に入ると、ファイルローグ事件では、さらに今度は、差止請求に加えて、総額で約3億6500万円に及ぶ巨額の損害賠償を求めた本案訴訟が提起され、この紛争はさらに深刻化している。
その一方、大手レーベルのうち、米国市場ではユニバーサルが、日本市場でもエイベックスが、「コピー防止機能付きCDを発売」というニュースも伝えられている。そうなれば「究極のコピー技術」というデジタル技術の特色にも、この段階ではピリオドが打たれる可能性がある。
こうしてNapsterが著作権制度に投げかけた問題は、いまなおネットの世界で、あたかも波紋のように広がり続けているのだ。
|