大学生と社会人の大きな違いはレシートの扱いだ。筆者が日記を付け始めたのも、交通費精算が課題だったからだ――。
「おい、君! これを2度と繰り返すな。繰り返したら、営業から外す。分かったか!」――。筆者は怒髪天を衝く勢いで、配属後半年を過ぎた新人に叫んだ。
筆者の部署では、交通費精算の申告をグループ別のノートで共用していた。管理者である筆者は部署全体の交通費精算のため、週に1回、経理に回す前の確認印を押していた。そんな、ある時である。ペラペラとページをめくっていて唖然とした。新人のK君が、配属後の9月から12月までの3カ月間、交通費を精算していなかったのだ。
「おい、おい、おい、K君、これは何だ。どうした?」
「はい、忘れていました」
「忘れていただと。冗談じゃない。毎週火曜日には、『交通費の精算だよ』って、言ってるじゃろが」
筆者は怒ると日本全国の方言が混ざる癖がある。大学の寮が河内だったこともあり、最悪は河内弁の「オンドリャー」となるのだ。
「はい……、すみません」
「君は業務日誌を書いているのか。ずっと書いているのか? 私は書いているぞ。交通費の精算には絶対に必要だからな」
「9月までは業務日誌を毎日書いていましたが、今は毎日は書いていません……」
「おい、おい、おい! 業務日誌を毎日書かないで、どこに行ったって、どう証明するんだ。お前(怒気のあまり、呼び方が『君』から『お前』に変わって、席を立ち上がっていた。お茶がこぼれかけた)、これを半年続けたら借金地獄に陥って破産するんだよ。分かるか!!」
「……」
「今、持っている領収書は? 全部持ってこい。財布に3カ月分の領収書を入れとるのか? 信じられない!」
「……」
「こんな少ない領収書で全部のわけがないじゃろが」
「……」。もうK君は半泣きである。
「私も君も、毎日、同じように営業で外に出ているよな。部長の私と新人の君では給料も違うのに、部長と新人でJRは料金を変えるのか? 同じだろう。いくら出不精の営業だって交通費は毎月3万円も4万円もかかるぞ。それを3カ月溜めたら会社が『よくぞ溜めてくれた』って誉めてもらえるか」
「交通費の精算にJRや私鉄だったら領収書はいらないかもしれないが、どうやって『どこそこのお客に行きました。どこからどこまで電車に乗りました』を証明すればいいのか? 3カ月前の予定を全部思い出せるか? 不可能だろう。そうなるといい加減にしか請求できないんだ。いいかげんじゃおかしいんだよ。分かっちょるか? ましてや、タクシーはそうじゃないぞ。領収書が要るんだ」
筆者が出向していた通信会社では、接待費や会議費はもちろん、タクシー代もレシートが必要だった。仕事で使ったとしても会社は絶対に払ってくれない。営業部だったから、靴がすり減るのと、交通費がかかるのは仕方がない。日本の公共交通費は世界一高いから、かかりすぎていた。関東一円をうろうろすれば、1カ月に4万円も5万円も交通費でかかっていた。
「3カ月の交通費で、十数万円も自分の金を遣って、回収不可能になったら、その不足金はどうするんだ。そういうところから、サラ金が入り込むんだ。最初は数万円かもしれない。それからちょっとずつ、ちょっとずつ増えていく。そうして、大雑把な目安で交通費請求を出し始める。もうこれはどんどんウソが拡がるんだ。そうなるともう駄目。仕事どころじゃなくなって、交通費のつじつま合わせに邁進することになる。そうなると背任の恐れも出てくる。君は分かっているのか、この重大さを!」
筆者は語気を強く、声を高くした。これは部員全員に言い聞かせることも大事だった。
「おい、マンツーマンリーダー、お前の責任だぞ。監督不行届だ。責任を半分取ってやれと言いたいところだ。一緒に、3カ月間のできるだけ正確な請求リストを作成してやってくれ。一営業に同行した場合はJRも私鉄も分かるだろう。思い出せないのは請求できないからな」
「分かりました」
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