業界トップ→株価が数十円に…… 懐かしの「小僧寿し」は復活できるのか(1/3 ページ)

» 2025年08月16日 06時00分 公開
[山口伸ITmedia]

著者プロフィール

山口伸

経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 X:@shin_yamaguchi_


 「小僧寿しチェーン」のフレーズでおなじみのテレビCMを覚えているだろうか。持ち帰り専業の寿司店である「小僧寿し」は1970年に1号店を出店し、その後瞬く間に店舗数を増やした。1977年に加盟店が1000店舗を突破し、1979年に年商が531億円で外食企業のトップとなった。

 その後、最盛期には2300店舗を展開。2000店舗超といえば、現在のスターバックスに匹敵するレベルだ。しかし1990年代から閉店が相次ぎ、8月5日時点では国内に134店舗しかない。小僧寿しの衰退期は回転寿司の拡大時期と重なる。価格や立地戦略で回転寿司と重なる中、商品面で優位性を示すことができなかったとみられる。

出所:ゲッティイメージズ

最盛期には2000店舗超も、回転寿司に敗れた

 小僧寿しは1964年に持ち帰り寿司店の「スーパー寿司・鮨桝」として創業した。創業者の山木益次氏は寿司店の三男であり、米国のチェーンストア理論を導入して小僧寿しを創業した。当初は資金難やオペレーションの問題で失敗するが、1972年に小僧寿し本部を設立して再起を図り、店舗展開を始めている。直営とFCの両軸で店舗数を増やし、冒頭の通りピーク時には2000店舗を超えた。

 小僧寿しは「徒歩や車で、10分前後で来られる場所」を商圏としており、主に住宅街やロードサイドに出店した。1970〜80年代当時は現在ほど飲食チェーンやコンビニが充実していない時代である。手軽に中食を購入できる店舗として消費者のニーズをつかんだ。

 同時期には「ほっかほっか亭」も店舗数を増やしており、同様の理由で伸びたと考えられる。また、現在のように全国チェーンがなく、寿司は個人店が主な時代であり、チェーンとしての画一性や敷居の低さ、そして安さが小僧寿しの拡大につながった。

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