「書きたいことを書く」仕事――ノンフィクション作家・川内有緒さんインタビュー(前編):好きなことを仕事に(2/3 ページ)
国連を退職して5年。「書くことで生きていく」道を選んだ川内さんはいま、そのときの決断を振り返って何を感じているのか――。夢に一歩踏み出した川内有緒さんに聞いた。
とにかく「辞めないと話が進まないよな」
――国連機関を辞め、フリーのライターになると決断するにあたって、なにか足掛かりはあったのでしょうか?
国連に入る前、7カ月くらい暇だった時期があって、そのとき一度、お金をもらって文章を書くという仕事をしたことはあったんです。全日空の機内誌『翼の王国』に取材記事を載せるという。シルクロード、メキシコ、カリブ海と3回取材に出させてもらいました。
それが、今思うととても良い仕事で。編集長も「まっさらな気持ちでやっていいよ」と言ってくれたし、特集を丸々割り当ててもらったのでページ数もとても多くて。シルクロードの記事なんて30ページくらいあったんですよ。当時は相場を知らないから、そういうもんなのかなって思っていましたが(笑)。
そのとき、編集の方にいろいろとアドバイスを貰ったり、ライティングのやり方を覚えたりもして。その経験があったから、「まとまったものを書く」ことへのハードルはそう高くなかったのだと思います。
――その後、国連職員に採用され、フランスに移り住むことになるんですね。
パリで働き始めてからは、いつも定時で上がれるし、すごく時間に余裕があったから、『パリでメシを食う。』のもとになる原稿を趣味として少しずつ書き溜めていて。それを日本の出版社に持ち込んだところ、始めは「こんな本は売れない」とまったく相手にされなかったのですが、最終的には幻冬舎の編集者が気に入ってくれて、なんとか出版されることになったんです。
同時に国連職員として働き続けることへの疑問がとても大きくなってきたので、そろそろ良いかなって辞めることに決めました。
というのも、国連職員だと制約がすごく多いんですよね。基本的には副業できないし、9時から6時まではきっちりオフィスにいないといけない。会いたいひとがいて、急に明日会えるってなっても、仕事を放りだすわけにはいかない。だから、忙しくてももう少し制約が少ない働き方ができればなあって。
――制約が少ない働き方、ですか。
辞めて、全部自由になりたかったっていうのとはちょっと違うと思うんですよね。ただ、今よりも自由が欲しい、どういう形が良いのかは分らなかったけど、でも「辞めないと話が進まないよな」というところまできたという感じ。
だから、国連を飛び出した先に、絶対こうしてやろうっていうほどの強い気持ちがあったわけじゃなく、時間をかけながら、自分はこれからどういう仕事ができるか模索していったんですね。
帰国の2カ月後に『パリでメシを食う。』が出版されましたが、そのあとはまた時間があったから、バングラデシュに旅行に行きました。最初は、漠然とこれで短編でも書ければいいなという気持ちで始めたのですが、書いているうちにだんだん長くなって。最後はそれが1冊の本にまで膨らんで、『バウルの歌を探しに』(単行本タイトル『バウルを探して』、第33回新田次郎文学賞受賞)として刊行されました。
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