国連職員からノンフィクション作家へ――川内有緒さんインタビュー(後編):人を描くことで見えてくるもの(1/3 ページ)
国連職員からノンフィクション作家へ。一見突拍子もない「転職」に見えるが、それまでの仕事の経験と時間が、彼女の「新たな夢」の後押しとなった。
もはや人生の「修行」のフェーズじゃない
――いわゆるライターさんというと、雑誌などで依頼を受けて書いて……頼まれたものを形にするお仕事、というイメージでしょうか。
私はそういうのはすごく苦手なんですよ、できるかなと思って引き受けても大体うまくいかない。いろんなものを取材して、1000字くらいで手早くまとめるって仕事もあったけど、私にはすごく難しくて、上手にまとめられない。
プロとしてそういう依頼記事の執筆をやっていくんだったら、もっと鍛錬しないといけないと思うんですが、そういうことがやりたいわけじゃないしなあ。……と言うと、非常にふてぶてしく聞こえるかもしれませんが(笑)、いまの私はもはやそういうプロのライターになるための「修行」をしたいんじゃないって、あるとき分かったんです。
ちょっと違う人生のフェーズに入っているというか。本当にやりたいことだけを追いかけていこう、そのために時間を使おうと。だってそのために、せっかく仕事も辞めたんだから。
――そういう意味では、ライターというより作家さんですね。
最近までは作家とは名乗ってなかったんですけどね。ただ、『バウル』が新田次郎文学賞を受賞したことが、1つの分岐点になりました。
それまでは外からいきなり依頼が来るってことはほとんどなかったんですよ。でも受賞以来、徐々に、全然知らない雑誌から声がかかって、「ここになにか書きませんか」とページを割り当ててくれるようになって。しかもすごく自由度の高い依頼が増えたんです。
「2ページあげるので、何か面白いことやってくださいよ」とか「一緒に考えてなにか企画やりませんか」とか。企画が先行していないページがもらえるようになったんですね。もちろん、企画ありきで依頼される場合でも、面白そうだったらお引き受けするんですが。
だから、「ライター」から「作家」として扱われるようになったというのは、自分では意図してなかったんですけど、なんてありがたいことだろうと。
川内有緒(かわうち・ありお)
日本の大学を卒業後、アメリカの大学院へ留学。卒業後はアメリカのコンサルティング会社、日本の大手シンクタンクに勤務。31歳のとき、パリに本部のある国連機関に転職。5年半勤めたあと、フリーランスに。現在は日本を拠点に、面白い人やものを探して取材してはしたためる日々。
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