大河ドラマ主役の真田幸村、ところで何をやった人?:歴ドル・小日向えりの「もしあの武将がネットサービスを使ったら……」(3/4 ページ)
戦国時代の真田ファミリーを描く今年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ始まります。ドラマの中で主役となるのが真田幸村ですが、いったいどんな功績を残した人なのでしょうか。実は……。
見事な心理戦
幸村の人柄はどんなものだったのでしょうか。
信之の証言によると「物ごと柔和・忍辱(にんにく)にして強からず。ことば少なにして、怒り腹立つことなかりし」(我慢強く、何に対してもやさしく穏やかで、我が強いタイプではない。言葉数が少なく、周囲に対して怒ったり腹を立てたりすることがなかった)とあり、普段は穏やかな性格でした。
お酒好きで冗談もよく言う親しみやすいキャラクターだったそうです。しかし、ひとたび戦場に立つと、三途の川の渡り賃である六文銭を旗印に掲げ、男らしいリーダーぶりを発揮。撤退のときにしんがりを務めて、追撃してこない敵勢に向かって「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候え」と名言を残しています。ああ、こんな人についていきたい! 私にとっては、恋人にしたいというよりも上司にしたいタイプです。
さて、幸村の逸話の中で、ビジネスパーソンも活用できる「自分を追い込む術」をご紹介しましょう。
1615年5月6日、大阪夏の陣で「道明寺・誉田の戦い」が勃発し、真田隊が伊達政宗ら率いる伊達隊と衝突したときのこと。幸村は、鉄砲騎馬隊の伊達隊を待ち伏せし、兵士たちにはギリギリまで兜をかぶらせず、槍も持たせませんでした。いよいよ騎馬軍が近づいてきたところで、「兜をつけよ!」、さらにギリギリになって「槍を持て!」と指示します。兵士らはさっきまでの防御力ゼロの不安な状態から解き放たれ、勇気百倍で戦えたということです。何とも見事な心理作戦!
人間誰しも、一度とことん絶望的な状況に追い込まれれば、そこからはどんな些細なことでも幸せに感じるもの。バランスが大切ですが、ぜひ皆さんも普段から自分や部下をあえて修羅場に追い込んでみてはいかがでしょうか。底知れぬ力を発揮するかもしれませんよ。
真田幸村、信繁どっちなの問題
現在広く知られている名前は「幸村」ですが、通説では本名は「信繁」で、幸村は創作と言われています。 大河ドラマでも信繁を採用するようです。
ここは研究者の中でも支持が分かれるところ。「信繁は大坂城入城の際に幸村と改名した」という説もあり、私はこちらを支持しています。一方、家臣の証言で「大坂城入城の前から幸村と名乗っていた」という説があり、兄の信之も「信繁の名前は武田信玄の弟の典厩信繁さんからもらったものだ。九度山蟄居の折に幸村に改名した」と証言しているそうです。
信繁(幸村)の舅(しゅうと)にあたる大谷吉継も、関ケ原の戦い出陣に際して「吉隆」に改名していますし、戦国武将は何かの節目でころころと名前を変えるものなので、途中で幸村と改名した可能性も大いにあると思います。
例えば、猛将・本多忠勝の娘である小松姫を嫁にもらい徳川家についた真田信之は、徳川家に気を遣い、父・昌幸から一字を継いだ元々の「信幸」を捨てて改名しています。兄が決別した「幸」の字をあえて受け継いだ名が「幸村」だとしたら、創作の名前だと一笑に付せぬものがあります。
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