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北陸新幹線延伸ルートは「JR西日本案」が正解杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/5 ページ)

北陸新幹線延伸ルートの年内確定に向けた動きが活発になっている。2013年に与党検討委員会は3つのルートに絞り込んだ。しかし2015年8月にJR西日本から小浜・京都ルート、11月に与党検討委員長からは舞鶴・京都・関空ルートが示された。絞り込むどころか選択肢が増えている。ただし、このうち国益に沿うルートは1つしかない。

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杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


我田引鉄ではなく“国益”で決めよ

 東北本線と高崎線の分岐点は埼玉県の大宮駅だ。先に高崎線ルートができて、後から東北本線が分岐された。しかし、1885(明治18)年に大宮分岐案に決まるまでは、熊谷案、大宮案、浦和案があった。浦和案は地元の反対で早々に消えたらしい。残った熊谷と大宮で誘致合戦が繰り広げられた。

現在は東京〜大宮間は東北本線となっているけれど、開業順は高崎線(緑)が先だった。東北本線は高崎線を分岐する形で計画された。分岐場所として、熊谷案(紫)、大宮案(茶)があった。東北本線は宇都宮直行ルートの大宮案に決まった。熊谷案の経由地は、後に東西方向に両毛線、南北方向に東武鉄道が建設された
現在は東京〜大宮間は東北本線となっているけれど、開業順は高崎線(緑)が先だった。東北本線は高崎線を分岐する形で計画された。分岐場所として、熊谷案(紫)、大宮案(茶)があった。東北本線は宇都宮直行ルートの大宮案に決まった。熊谷案の経由地は、後に東西方向に両毛線、南北方向に東武鉄道が建設された

 そもそも高崎線は東京と大阪を結ぶ中山道ルートとして建設された。東海道ルートでは海に近く、砲撃を受けたら線路が遮断されてしまう。内陸部の中山道が安全だ。しかも高崎や前橋は繊維産業が盛んで、貨物輸送の利益も期待できた。東北本線の熊谷分岐案はその繊維産業を重視し、伊勢崎、桐生、足利を経由して宇都宮に至るルートだ。

 これに対して大宮分岐案は宇都宮へ直行するルートだ。さびれかけた大宮宿を発展させるために、地元の名士たちが大宮駅の建設を請願し、駅周辺の必要な用地を無償で提供するなどで当時の日本鉄道に貢献した。駅の開業に成功した名士たちは、さらに大宮分岐となれば鉄道関連産業も栄えると考えた。

 現在のようにコンプライアンスやら贈収賄やらに敏感な時代ではないから、この誘致合戦は熱かっただろう。鉄道側の当事者たちも困惑したまま、事案は当時の鉄道局長、井上勝に委ねられた。そして井上は大宮分岐を裁定した。ただし理由は大宮の発展のためではない。

 井上は当事者たちだけではなく、外国から招いていた鉄道技術者の意見を聞いた。どちらの街にも利害関係のない外国人たちは、東北本線は東北・北海道地域の開発に必要な路線であり、直行ルートこそが重要と進言した。井上が大宮を選んだ理由は「国益」だった。

 鉄道は国の骨格である。地域の利益より国益を優先すべきだ。この考えが揺るぎなく継続していれば、その後の鉄道誘致と路線乱造はなかった。しかし、いわゆる地元政治家の「我田引水」ならぬ「我田引鉄」の結果、地方の鉄道はいまや悲鳴を上げている。

 北陸新幹線のルート選定に発言力を持つ人々に、相変わらず地域優先の考えが目立つ。地域のための鉄道は地域に貢献すべきだ。しかし、幹線鉄道は使命が異なる。まして新幹線は誰のものか。日本国民のものだ。国益のために作られるべきだ。決定権を持つ人は、井上勝の精神に立ち戻ってほしい。

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