熊本経済を元気に! 震災で生まれたくまもとDMCの使命感:「日本初」の挑戦(1/3 ページ)
2016年4月に起きた熊本地震は地元経済に大きなダメージを与えた。そうした中で誕生したのが、観光振興会社のくまもとDMCだ。同社が他の日本版DMO(目的地型観光振興会社)と異なるのは民間企業であること。それは何を意味するのだろうか。
安土桃山時代を代表する城造りの名手、加藤清正公が熊本城を築いたのは1607年ごろのこと。その後、加藤家が改易となって細川家が城主になると、二の丸や三の丸も整備され、全国でも有数の名城として知れ渡ることとなった。
今では地元の人たちだけでなく、多くの歴史ファンなどに愛される熊本城だが、2016年4月に発生した熊本地震によって、天守閣大天守の屋根をはじめ、城のさまざまな部分が損壊した。現在城内は立ち入り禁止となっており、大天守の再建は19年秋ごろ、すべての復旧工事が終わるのは37年ごろになる見通しだ。
もちろん熊本城だけでない。今なお町中には土木を積んだ大型トラックが行き交うなど、震災復興はまだ道半ばといった状況だ。
「ただ単に元に戻すという復旧ではなく、創造的に復興することが熊本には必要なのです」――。こぶしを握り締めてこう力強く語るのは、くまもとDMCの梅本茂副社長だ。
くまもとDMCは、日本版DMO(Destination Management Organization:目的地型観光振興会社)として16年12月に設立。観光庁の定義によると、日本版DMOとは「地域の稼ぐ力を引き出すとともに、観光地経営の視点に立った観光地域づくりのかじ取り役として戦略などを策定、実行する法人」とされている。なお、DMCはDestination Management Companyの略。くまもとDMCがユニークなのは、地元の自治体と地域銀行が出資する民間企業であることだ。これは国内初の事例である。
さて、創造的な復興とはどういうことか。
「例えば、インフラや施設を元通りにした上で付加価値を高めるのは当然のこととして、さらに社会システムも新しく作り直すことができるのであれば、これを機に刷新しようということです」と梅本副社長は説明する。
熊本の街を震災前のように戻すのは確かに大切である。しかし、それだけでは将来的な経済発展にはつながらないという考えが根底にあるのだ。
実は数年前から「地方創生」をテーマに、熊本県と肥後銀行は共同プロジェクトを実施しており、例えば、県産の農林水産物を輸出推進すべく香港に共同で事務所を構えるなど、熊本の経済活性化に力を注いでいた。ところが、先の地震によって県は被災対策などで多忙を極め、新しいことになかなか踏み出せない状態に陥った。そこで肥後銀行が中心となって立ち上げたのがくまもとDMCなのである。
「前々から熊本は農作物も、水も、自然も良いし、観光の総合力としては優れていると言われてきましたが、それを具体的な形にする人がいなかったのです。くまもとDMCの役割は、地域の新しい価値を創造し、その総合力を形にしてビジネス化することです」と梅本副社長は意気込む。
同社の事業内容は、地域ブランドの企画や立案、着地型旅行商品の販売、地元のホテル・旅館向けデジタルマーケティング業務支援、観光ビッグデータ分析など多岐に渡るが、設立からの1年間はそれらを実現するための基盤作りに注力した。震災からまだ日が浅く、傷ついた人が大勢いる中で関係各所にコンセンサスを得るのは苦労したという。
「ビジネスとして立ち上げるまでにはリスクがたくさんあります。けれども、震災後の今の時期だからこそ新しいシステム基盤が熊本には必要だということでこの会社ができました。しかもDMOではなくDMCにした方が継続性が出るし、収益を確保するために必死になります。悪戦苦闘してでもその目的を果たすべきです」と梅本副社長は力を込める。
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