天才プログラマー・佐藤裕介は限界を感じていた――知られざる過去、そこで得たメルカリ対抗策:2社を上場に導くも(5/6 ページ)
2018年2月に誕生したヘイ株式会社。代表取締役にはプログラマーの佐藤裕介さんが就任した。佐藤さんはGoogle出身で、フリークアウト、イグニスの2社を上場に導いた人物。そんな彼がheyを設立したのは、順風満帆に見えるキャリアの陰で抱えていた、自分のある「限界」を突破するためだった。
「Just for fun.」はメルカリ対抗の生存戦略でもある
――現在のheyの社員数は今どれくらいですか?
現在はおよそ80人。ですが、直近で150人ほどに拡大したいと考えています。そのために、heyを設立したタイミングで、佐俣が専任トップとして率いる「EX (Employee Experience)チーム」を作ったんです。
――佐俣さんやEXチームは、どのような施策を企てているのでしょうか?
企てるみたいなことは特にないですね。会社にある傘立てを綺麗にしようみたいな小さい話から、正社員からアルバイトまで、会社メンバー全員の気持ちをモニタリングする制度設計まで、その都度、幅広く話し合ってやってくれています。
つまり普通というか……特に派手な施策はないので結構地味ですよ。
――少し意外でした。
今のheyに必要なのは、象徴的な制度や派手な施策ではなく、日々の改善なんです。
大きな基盤があり、ブランド力のある会社なら、フレキシブルに、全方位型で理想的な環境づくりをすればいいと思うんです。Google、Facebook、最近遊びにいったメルカリも、それはもうすごかったですよ。オシャレなオフィスでリモートワークOK(※編集部注:メルカリはリモートワークを推奨しておりません。訂正・補足致します。8/27 14:34)。オフィス環境だけでなく、プライベートでも便利な有料サービスが無料で利用できたりと。社員からすると、すごく働きやすい環境だと思います。
でも、heyみたいな小さな会社は、別のやり方を考えないといけない。だから、実はさっきお話しした、heyが掲げる「Just for fun.」な組織づくりとは、ある意味僕らの生存戦略でもあるんですよね。
――生存戦略?
僕らはメルカリのような完全無欠な存在にはなれない分、求職者や世の中からの注目を集めるには「放っておけない組織」になる必要があります。
実際、僕らが普段接しているライジング・セラーたちは、まさしく「放っておけない存在」。彼らは特定分野へのこだわりが強すぎて、どこかが抜けていたりする。でも一生懸命に努力しているからこそ、まわりが自然と応援したくなったり、手を貸してあげたくなったりしてしまうんですよね。万が一ミスをした時にも、そういう人には、まわりも寛容だったりします。
僕らも「Just for fun.」なカルチャーをまといながら、「ライジング・セラーを支援すること」に一生懸命に向き合っていきます。その姿が、求職者の方々から見て、ライジング・セラーのように放っておけない、応援したい存在になれたらと。
そのためにも経営の「過程」を社外に対してオープンにして、ライジング・セラーたちのモノづくりのように透明性の高い事業運営に努めているんです。
また、heyで働くメンバー個人には「チャーミングな人材」であってほしいと思っています。そうすることで、放っておけない組織文化を強めてくれたらと。
関連記事
- 就活をやめてエストニアへ そこで私が確信した日本と世界のキャリア観の決定的な違い
普通なら就職活動真っ只中の期間である大学3年生の1月から大学4年生の6月までの約半年、就活を中断してエストニアに留学中の筑波大学4年生、齋藤侑里子さん。そんな彼女が現地で感じた、日本の就活への違和感、グローバルスタンダードなキャリアの築き方とは――。 - なぜメルカリはホワイトな労働環境をつくれるのか?
メルカリの福利厚生がホワイトすぎると話題だ。多くの日本企業は働き方改革を実践するため、残業時間の規制などに躍起になるが、根本的な誤解も多い。メルカリの取り組みを知ることで働き方改革の本質が見えてくるはずだ。 - 時代の変化から逃げてはいけない “元受付嬢”が受付の自動化に取り組む理由
11年間にわたり「受付嬢」として活躍した後、起業して、オフィスの受付業務を効率化するシステムを開発したディライテッドの橋本真里子さん。彼女は自分の仕事を機械に奪われるどころか、むしろ能動的に仕事の一部を機械に置き換え、自動化したのである――。 - YouTuber教育プログラムで子どもたちに教えている、動画の撮り方より大切なこと
子どもたちのやりたいことを叶えたいという思いから「YouTuber Academy」の運営を始めたFULMA代表の齊藤涼太郎さん。彼が考える、子どもたちに身に付けてほしい、変化の激しい時代を生き抜くのに必要な力とは何だろうか? - プロ野球選手からビジネスマンに “生涯現役”貫く江尻慎太郎さんの人生
2001年にドラフトで日本ハムファイターズに入団。その後、横浜ベイスターズ、福岡ソフトバンクホークスでプロ野球選手としてのキャリアを過ごした江尻慎太郎さん。現役引退後、彼が選んだ道はビジネスマンだった。江尻さんの仕事観、人生観に迫った。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.