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“会社なら当たり前のこと”をすればうまくいく――フェンシング太田雄貴が挑む「スポーツ業界の健全化」「問題噴出」の構造的背景を聞く(3/6 ページ)

暴力、パワハラ、助成金の不正流用――。スポーツの競技団体で噴出する問題は止まる気配を見せない。昨年、日本フェンシング協会会長に就任した太田雄貴氏に現状の課題を聞いた。

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全日本選手権の決勝を“ガラガラ”から満員へ

――太田会長が就任して1年あまりがたちました。これまでどのような改革を進めてきましたか。

 目指している方向性は、フェンシングを通して、感動体験を1人でも多くの人に提供することです。そのためには、「見て楽しんでもらう観戦型スポーツを目指す」方法と、「実際に体験してもらって競技人口を増やす」という2つの方法があります。

 私が会長に就任してまず取り組んだのは、前者の「見て楽しんでもらう」スポーツです。具体的には、毎年12月に開催している全日本選手権を改革しました。

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昨年の全日本選手権決勝戦の合間に実施したスポーツプレゼンテーション。太田会長が各種目に合わせた解説をした後、写真のようにユニフォームに身を包んだダンサーによるパフォーマンスも実施した(写真:竹見脩吾さん)

――全日本選手権の改革に最初に取り組んだのは、どのような理由からでしょうか。

 とてもつらい思いをした1枚の写真があります。それは14年に代々木体育館で開催した、全日本選手権決勝戦での写真です。ロンドンオリンピックのメダリスト2人が戦っているのに、客席には2、3人しか観客が写っていません。500くらいの客席が写っているのですが、本当にガラガラです。実は、こういう状況がずっと続いていました。

――なぜ決勝戦に観客がいなかったのでしょうか。

 当時、フルーレ・エペ・サーブルという3つの種目をそれぞれ1日で開催していました。朝から始まって、最後に決勝戦をします。すると、出場する選手、コーチ、家族などが集まる朝の時間帯は会場が埋まるものの、試合が進むに連れて、負けた人が後の試合を見ずに帰ってしまうのです。決勝戦のころには、フェンシングを見たいという人が少しいるだけという状態になっていました。

 加えて、チケットが売れないという問題もありました。チケットはインターネットで販売していましたが、当時は発売が試合の1週間前でした。ギリギリまでスポンサー探しをして、協賛のロゴなどをポスターやチケットに入れなければならないため、1週間前にしか発売できなかったのです。でも当然それでは売れません。当時協会の役員をされていた先輩方は、かなり苦労していたと思います。

――その状態から、どのように変えていったのですか。

 問題点を全部洗い出して、去年の大会では21個の新しい取り組みをしました。最も大きな変化は、4日目を最終日にして、男女それぞれ3種目の決勝戦を切り出して開催したことです。チケットも1カ月前に発売し、初めてスタッフで手売りもしました。

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多くのスポンサーを集めることができた(写真:竹見脩吾さん)

――かなり大きな変化ですが、反対の声はなかったのですか。

 当然ありました。1日目の種目の人は、決勝戦まで間が2日空くので、その分の宿泊費はどうするのですかと言われました。でも、『宿泊費は大した問題ではないので出しますよ』と私は言ったのです。いかに観客に来てもらうかかが、最も大きな問題でしたから。

 その結果、決勝戦の観客数は、前年の150人から10倍の1500人に増えました。さらに、これまでお客さんの大半がフェンシング関係者だったのが、決勝戦は7割から8割の人がフェンシングを初めて見る人たちだったのです。集客を増やすという目標は達成できました。

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会場を満席にできた全日本選手権。大半はフェンシングを初めて見る人だったとのこと(写真:竹見脩吾さん)

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