余命1年を宣告され単身渡米 がんを乗り越え「2度の世界女王」に輝いたバックギャモン選手:「泣いてる時間を努力に変えよう」(3/5 ページ)
世界の競技人口3億人ともいわれている人気ゲーム「バックギャモン」で2度の世界チャンピオンに輝いた矢澤亜希子さん(38歳)。子宮体がんで余命1年と宣告されてから「世界」を獲るまでのサクセスストーリー。
原因不明の体調不良 「子宮体がん判明」まで3年余り
09年に結婚した。だが08年ころから痛み止めを飲まないと歩けないほど、体調不良が続いていた。「良くなるまで休もう」と仕事もバックギャモンも止めた。今思えばこのころから子宮体がんだったのだが、何度診察をしても見つからず、一向に回復しない。
そんな中、研究会仲間で医師の鈴木琢光さんが11年に世界チャンピオンになった。医師の激務と両立させつつ、達成した仲間の偉業。この時、「体調不良を理由に何もしないわけにはいかない。待っていたら何もできなくなる」と思い、競技に戻る決心をした。
その矢先の12年、余命1年の子宮体がんであることが発覚。医師からは「手術しなければ1年もたない」と言われた。「家族に何て伝えよう」。それまで続いていた体調不良から、どんな診断が出るかは何となく想像はしていた。自分で調べたがんの症状と、自分の症状が似ていたからだ。母親には言いにくいし、夫には「本当に申し訳ない」。女性として描いていた将来の夢はついえることになった。
しかし、一度自分で決めたバックギャモンだけはやり遂げたい。悩んだ末に子宮、卵巣、卵管、リンパ節を切除した。その後も体調は最悪だったが、闘病を続けながら大会にも出続けるという生活を始めた。治療のせいでホルモンバランスが崩れ、抗がん剤の副作用もあり、まともな思考が出来ない。髪の毛も抜け、吐き気や痛みもひどい。それでも結果を出し続け、抗がん剤治療を13年の9月に終えた。
「治療に失敗して、死ぬことも覚悟しました。医師には反対されましたが、米国で武者修行にも挑みました。『命の期限』を自分の中で意識したときに、バックギャモンで世界チャンピオンになって『生きた証を残したい』と思ったのです」
ニューヨークのタイムズスクエア近くの公園で対戦をしたり、ロサンゼルスやサンフランシスコのバックギャモンクラブの道場破りをしたりして、経験を積んだ。そしてついに14年のモンテカルロの世界選手権でアジア人女性として初めて優勝し、賞金650万円を獲得した。決勝戦は1試合8時間近くかかる過酷な状況だった。副作用で髪が抜け、ウィッグを着けながら「世界」を獲ったのだ。
関連記事
- 午後7時閉店でも店長年収1000万円超え! 愛知県「地元密着スーパー」絶好調の秘密
愛知県東三河地方だけに5店舗しか展開していない「絶好調」のスーパーがある。「社員第一主義」を掲げ午後7時には閉店しているのに、店長の年収は1000万円を超える。その秘密に迫った。 - ホリエモンが政治家に頭を下げてまで「子宮頸がんワクチン」を推進する理由
ホリエモンはなぜ「子宮頸がんワクチン」を推進しているのだろうか。その裏には、政治に翻弄された「守れるはずの命」があった。 - 僕の足を引っ張らない社会を作る――ホリエモンが演劇をアップデートする理由
ホリエモンこと堀江貴文氏が主演を務め、現在公演中のミュージカル『クリスマスキャロル』。そもそもなぜホリエモンは芝居をやっているのだろうか? その真意を探った。 - 両親亡くした一人娘の挑戦 元ラジオDJが「自己破産」覚悟でめっき会社社長に
完璧な人間はいない――。だが、仕事も私生活も充実させ、鮮やかにキャリアを築く「女性リーダー」は確実に増えてきた。企業社会の第一線で活躍する女性たちの素顔に迫り、「女性活躍」のリアルを探る。 - ガス会社勤務だった女性が「世界最大級のデジタルコンテンツ会社」を率いるまで
完璧な人間はいない――。だが、仕事も私生活も充実させ、鮮やかにキャリアを築く「女性リーダー」は確実に増えてきた。企業社会の第一線で活躍する女性たちの素顔に迫り、「女性活躍」のリアルを探る。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.