難病と生きる「孤高の書道家」――スマホ時代に問う「手書きの意味」:言葉による内省(1/5 ページ)
スマートフォンが普及し、手で文字を書く機会を失いかけている時代に、組織や団体に属すことなく書の根源的な意味を探り続ける研究者がいる――。
スマートフォンが普及し、多くの人が自分の手で文字を書く機会を失いかけている。そんな時代に、書家として実作も手掛けながら、組織や団体に属すことなく書の根源的な意味を探り続ける研究者がいる。高校で国語の教師を長く務めたあと、大学などで書道の講師を務めている財前謙さん(55歳)だ。
財前さんは「手書き文字が伝達のツールとしてしか使われなくなった今の時代、書というジャンルは意味を持たなくなった可能性がある」と語る。では現代にあえて手で文字を書く意味はどこにあるのか。財前さんに聞いた。
財前謙(ざいぜん けん) 1963年、大分県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、都内の吉祥女子中学・高等学校などで国語の教員を務める。現在は早稲田大学教育・総合科学学術院講師、映画やNHKスペシャルのロゴなど実作も手掛けた。第一回「墨」評論賞大賞受賞。著書『新常用漢字196 ホントの書きかた』(芸術新聞社)『字体のはなし 超「漢字論」』(明治書院)『手書きのための漢字字典』(明治書院)などで白川静漢字教育賞『特別賞』を受賞。その他の著書に『日本の金石文』(芸術新聞社)などの評論もある
それぞれのスタイルがあっていい
財前さんは22歳から39歳まで国語の教員を務めていた。多くの子どもたちに接する中で違和感を覚えるようになったのは、現代の国語教育の在り方だ。例えば、漢字の書き方。漢字には正しい画数や書き順、トメやハネがあるという「常識」に対して、本質的ではないと感じていた。
「本来、手書きの文字は出版物のフォントとは違うわけですから、書く人それぞれのスタイルがあっていい。でも、まじめな生徒ほど、型にはまった書き取り指導をされていますから、正しいトメやハネがあるのだと信じていたのです。でもガチガチな教育をたたき込まれたがゆえに、勉強が嫌いになる子どももいますよね。私はトメやハネがどうこうよりも、その文字が何と書いてあるかが重要だと思っています。一方で現場の教員たちは漢和辞典を参照して、トメハネが明朝体と間違っていれば×(バツ)を付ける。それが本当の『教育』なのかと思っていました」(財前さん)
財前さんによれば、漢和辞典で示される「画数」は、あくまでも検索のための、いわば「編集上の都合」によるところが大きいのだという。財前さんは語る。
「もともと手書きで書いていた文字が、印刷技術の発達によって印刷文字になったのですから、印刷した文字を手書きの参考にするというのは、歴史を踏まえれば実は本末転倒なのです」(財前さん)
この経験から、財前さんは、子どもを含めた一般の人々が、手書きで漢字を書くための参考となるよう、2010年〜11年にかけて本を出すことになる。『新常用漢字196 ホントの書きかた』(芸術新聞社)『字体のはなし 超「漢字論」』(明治書院)『手書きのための漢字字典』(明治書院)の3冊だ。
「文字は全ての学習能力の基本になります。文字に苦手意識を持つと、学校の授業そのものがイヤになってしまい、学力を伸ばせずに可能性を否定されることもある。そんなことがあってはいけないですし、大問題だと思っていました。『活字の通りに書くべきだ』という固定観念を解きほぐしたいと思ったのです。印刷文字に拘束される必要はないのですから」(財前さん)
その後、著書や講演で投げかけた提言は実を結び、16年に文化庁は国語施策の中で、手書きに関する指針である「常用漢字表の字体・字形に関する指針」を出すことになった。そこでは「手書き文字と印刷文字の表し方には、習慣の違いがあり、一方だけが正しいのではない」「字の細部に違いがあっても、その漢字の骨組みが同じであれば、誤っているとはみなされない」と明記されている。また「手書き文字と印刷文字における許容と誤りについての提言」をした先の書籍の功績が認められ、財前さんは17年に白川静漢字教育賞『特別賞』を受賞した。
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