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難病と生きる「孤高の書道家」――スマホ時代に問う「手書きの意味」言葉による内省(2/5 ページ)

スマートフォンが普及し、手で文字を書く機会を失いかけている時代に、組織や団体に属すことなく書の根源的な意味を探り続ける研究者がいる――。

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手で文字を書くということ

 財前さんが書道にのめり込んだのは、大分県に住んでいた少年時代だった。

 「高校1年生のときにインベーダーゲームが大ヒットしていたのですが、近所にはゲームができる喫茶店などありません。田舎という不自由な環境で暮らしていたので、僕にとっての遊びは書道くらいしかありませんでした」

 中学1年生のときに中国・唐時代の書家である欧陽詢の「九成宮醴泉銘」に出会い、魅せられた。そしてあまりの美しさに、自分の手で同じものを書いてみたいという欲求を覚える。それ以来、唐時代の楷書を、見よう見まねで書き写していった。数えきれないほど手を動かして文字を書く中で、いろいろなことを学んできたという。

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欧陽詢「九成宮醴泉銘」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

 「同じ文字を繰り返し書くからこそ、見えてくることがありました。作文などでも自分の手を動かしながら書いていく中で、考えが整理されたり思ってもいなかったことに気付いたりしますよね? それと同じかもしれません。昔の人が実践してきた知恵だと思っています」(財前さん)

 財前さんは語る。「東洋で漢字が発生したのは3500年前ですが、スマホが普及し、多くの人が手で文字を書かなくなった今、『書道』というジャンルは、ほとんど存在意義を持たなくなったと思っています。私はこのことをネガティブに捉えているわけではありません。手で書かなくても文字に表せるという意味では転換点を迎えたのでしょう。ただ時代錯誤といわれるかもしれませんが、それでも人が手を使って文字を書く意味はあると考えています」。

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