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難病と生きる「孤高の書道家」――スマホ時代に問う「手書きの意味」言葉による内省(4/5 ページ)

スマートフォンが普及し、手で文字を書く機会を失いかけている時代に、組織や団体に属すことなく書の根源的な意味を探り続ける研究者がいる――。

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タレント化した書家 ビジネス化した書道展

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高村智恵子は精神を病みながらも、自分の作りたい絵を作り続けていた『智恵子 紙絵の美術館̻』(芳賀書店)

 最近はタレント化した書家がメディアを賑わせ、評価されているようにもみえる。また、シニア層が中心の大規模な展覧会も毎年開催されていて、それが書道の主流になっているのが実態だ。そのような状況について尋ねると、財前さんは「ある意味では書道の名を借りたビジネスになっているのではないか」という。

 「世間一般で認知されている『書道』とは距離を置くために、私は既存の組織とはかかわらずに無所属という立場を貫いています。病を経験してみて、世間の栄誉なんていうものには興味がなくなりました。今共感しているのは詩人・高村光太郎の妻である高村智恵子が精神科病院で1人創作していた切り絵です。精神を病みながらも、誰に見せるわけでもなく自分の作りたい絵を作り続けていた千恵子の姿勢にこそ、芸術を感じるのです」(財前さん)

独学でたどり着いた境地

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全国各地の石碑などを実見して執筆した『日本の金石文』(芸術新聞社)

 財前さんは書道を独学で学んできた。病に悩まされながらも、全国各地に足を運んで美術館や博物館、石碑などを見て回った。中国や台湾にもよく足を運んだという。実地を訪れ、自分の目で確かめることの大切さも実感した。

 「『独往の書家』と呼ばれる会津八一の存在に早稲田で出会い、『書道は自分で勉強するものだ』と気付きました。なぜなら八一は書家、歌人、美術史家と3つの分野で一流の評価を受けていますが、いずれにおいても師匠を持たずに独学で学んでいたからです。出会いとは想定しないものです。既成の前提からは、何も生まれませんね」(財前さん)

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