なぜ「小僧寿し」は危機に陥ったのか 犯人は“昭和のビジネスモデル”:スピン経済の歩き方(3/5 ページ)
「小僧寿し」が債務超過に陥った。苦境の背景に「持ち帰り寿司の限界」とか「多角経営が裏目に」といった声が出ているが、本当にそうなのか。筆者の窪田氏は違う見方をしていて……。
信じられない「拡大路線」
なぜ2300店舗という現在では信じられない「拡大路線」が取れたのか。寿司を売る場所がそんなになかったのか。30年前の日本人は寿司を今よりもっとバカバカ食べたのか。
そうではない。全国を小僧寿しで塗りつぶすくらいの勢いで展開をするのが、昭和のビジネスモデルとしては当たり前だったのだ。分かりやすいのが、持ち帰り寿司とほぼ同じ時期に全国展開がスタートしたコンビニと宅急便である。
小僧寿しが100店舗を達成した翌年の1974年、セブン-イレブンが東京・江東区に一号店を出した。その後、急速に全国へ広がっていくのはご存じの通りだ。1976年には大和運輸(現・ヤマト運輸)が「宅急便」のサービスをスタートする。関東の企業向け輸送をしていた同社が始めたこの画期的サービスは瞬く間に広がり、日本全国に配送網が張り巡らされていった。
このような昭和のビジネスモデルによって、小僧寿しは成功を収めた。そのため、時代が平成となり人口減少社会となってからも、「右肩上がり幻想」を引きずっていた可能性があるのだ。
それを象徴するエピソードが、小僧寿しの創業者、山木益次氏が2004年に出版した『強さと弱さ 小僧寿しチェーンの秘密』(ストーク)の中にある。本の中で山本氏は近年、小僧寿しの売り上げが落ちているのは、商圏が縮小しているからだと分析している。
調査をしたところ、1991年のユーザーの33%は、徒歩や自転車で3分以内から来店していた。しかし、2003年になるとこの層が72%に増加。さらに、自動車で5分以上かけてくる客も激減していた。
近場の客が増えているにもかかわらず、売り上げに現れていないということは、店の数が少なくて客を取りこぼしているからだ。ならば、同じ商圏内に集中的に出店して、ロイヤリティーを高めていけばいい――。
そんな考えから、セブン-イレブンのようなドミナント戦略をすべきだというのである。
関連記事
- なぜ「翔んで埼玉」はセーフで、「ちょうどいいブス」はアウトなのか
「自虐」を前面に押し出すことで、世間の関心を集める「自虐マーケティング」が盛り上がっている。「じゃあ、ウチもさっそくやってみよう」と思いたったマーケティング担当者がいるかもしれないが、気をつけていただきたいことがある。それは「地雷」があることだ。 - 7割が「課長」になれない中で、5年後も食っていける人物
「いまの時代、7割は課長になれない」と言われているが、ビジネスパーソンはどのように対応すればいいのか。リクルートでフェローを務められ、その後、中学校の校長を務められた藤原和博さんに聞いた。 - “売れない魚”の寿司が、なぜ20年も売れ続けているのか
魚のサイズが小さかったり、見た目が悪かったり――。さまざまな理由で市場に出荷されない「未利用魚」を積極的に仕入れ、宅配寿司のネタにしているところがある。しかも、20年も売れ続けていて……。 - 「佃製作所はやっぱりブラック企業」と感じてしまう、3つの理由
ドラマ「下町ロケット」の特別編が放映され、14.0%という高視聴率を叩き出した。多くの人がこのドラマを見て胸が熱くなったかもしれないが、筆者の窪田氏はちょっと違う見方をしている。ドラマの内容を考えると、「日本の未来に不安を感じる」という。どういう意味かというと……。 - 登山家・栗城史多さんを「無謀な死」に追い込んだ、取り巻きの罪
登山家の栗城史多さんがエベレスト登頂に挑戦したものの、下山中に死亡した。「ニートのアルピニスト」として売り出し、多くの若者から支持を集めていたが、登山家としての“実力”はどうだったのか。無謀な死に追い込まれた背景を検証すると……。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.