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ゴーンという「怪物」を生んだのは誰か 日産“権力闘争史”から斬るゴーン報道の「第一人者」が語る【前編】(1/5 ページ)

ゴーンという人物は結局、日本の企業社会において何者だったのか――。長きにわたって日産とゴーンを追い続けてきた「第一人者」に、“怪物”が生まれた真因について直撃した。

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 日産自動車のカルロス・ゴーン前会長を巡る一連の事件が日夜、報道されている。4月4日には中東の日産販売代理店に送金した日産の資金を自らに還流させ、同社に損害を与えた会社法違反(特別背任容疑)の疑いで、東京地検特捜部が4度目の逮捕に踏み切った。8日には日産が臨時株主総会を開き、ゴーン前会長らを取締役から解任する人事案を可決。ゴーン前会長の弁護団は、彼が無実を主張する動画を9日に公開するなど、応酬が続いている。

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カルロス・ゴーンという「怪物」を生んだのは誰か?(2016年10月撮影)

 本事件の行方や真相に注目が集まる一方で、意外と着目されてこなかったのが、そもそも「ゴーンという人物は結局、日本の企業社会において何者だったのか」という問いだ。わが国を代表する企業を救った“英雄”としてたたえられた人物は一転、今や会社を思うがままに支配した“怪物”のように報じられている。

 果たして今回の事件は、“異邦人”であるゴーン前会長個人の才能や人格に起因するものなのか。それとも、こうした存在を生み出す土壌がそもそも日産にあったのか。

 『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文藝春秋社)を2月に上梓したジャーナリスト・井上久男氏は、朝日新聞の記者だった1999年、「日産・ルノー提携」をスクープし、独立後も長きにわたって日産とゴーン前会長を追い続けてきた。井上氏は同書の中で、日産という企業の成り立ちや権力闘争史をひもとくことによって、ゴーン前会長が日産を救い、そして独裁に至った背景を丹念に描いている。ゴーン・日産報道の「第一人者」に、“怪物”が生まれた真の要因について直撃した。

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井上久男(いのうえ・ひさお)1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を選択定年。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ愚直なる人づくり』(ダイヤモンド社)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文藝春秋社)。カルロス・ゴーン氏の功罪を振り返りながら今回の事件の背景と本質に迫った企業ノンフィクション『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文藝春秋社)

 ――井上さんは朝日新聞の経済部記者時代から今に至るまで、長く日産とゴーン前会長に向き合い取材を続けてきました。『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』では事件を読み解くだけでなく、日産という会社の成り立ちについても明治期にまでさかのぼり、日産の構造的な問題に踏み込んで検証しています。実は日産ではゴーン前会長の登場前から社内で派閥抗争が繰り広げられ、サラリーマン社長の独裁者に周囲がおもねる構図が繰り返されてきたという指摘は衝撃的で、創業者一族が経営に関わってきたトヨタ自動車とは対照的です。なぜ日産では社内抗争が起きやすかったのでしょうか。

井上: 率直に言うと、日産は「都会のエリート」が集まる会社でした。今はそれほどではありませんが、理系も文系も東京大学卒が多く(当時、東大合格者を多く輩出していた)東京都立の日比谷高校や戸山高校、神奈川県立湘南高校の卒業生に「(社内で)石を投げれば当たる」と言われていました。東大卒であることは当たり前で、高校閥で争っていたんですね。役員にも日比谷・戸山高の出身者が多かったのです。

 非常にクレバーでスマートだが計算高く、自分に損か得かでしか判断しない人が、トヨタに比べると多かったと思います。トヨタも今では変わりましたが、かつては地方の国立大卒が多かった。そういう人たちを(入社後)鍛えていく会社だったとも言えます。

 でも、日産は入社した時点でいわば(その人の人生にとって)“頂点”なのです。自分の哲学などは殺して、出世のために権力者にゴマをすっていく「超サラリーマン」のようなイメージの人が多かった。

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